- 発売日: 2018/06/20
- メディア: Blu-ray
これは「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件」として知られる現実の事件~裁判の映画化。自身がユダヤ人でもあり、ホロコーストを研究するアメリカ人デボラ・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)が、自らの著作でホロコーストを否定するデイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)のことを攻撃して書いたところ、当のアーヴィングから出版社のペンギンブックスと共に名誉棄損で訴えられたというもの。つまり、アーヴィングは自分が主張するように「ホロコーストはなかった」とする判決を引き出そうとするのであろう。
アーヴィングが裁判を起こしたのはイギリスで、イギリスの裁判制度はリップシュタットの知るアメリカの裁判制度と異なり、被告である自分らに立証責任があり、アーヴィングの主張に虚偽があることを証明しなければならないのだった。
リップシュタットはイギリスで事務弁護士のアンソニー・ジュリアスと会い、法廷弁護士のリチャード・ランプトン(トム・ウィルキンソン)ら弁護スタッフを紹介される。弁護スタッフは陪審員も立てないで裁判に臨むことを決め、リップシュタットを驚かせる。
また、リップシュタットは裁判を知ったホロコーストの生き残りの証人から「わたしを法廷で証言させてくれ」と依頼され、その場では承諾するのだが、弁護スタッフは「それはできない」という。過去の例からも、証人はアーヴィングにただ侮蔑されるだけだろうと。じっさい、法廷ではリップシュタット自身も証言することはないとされる。
リップシュタットと弁護士らはポーランドのアウシュビッツを訪れてホロコーストの現場を目の当たりにするのだが、リップシュタットは弁護士ランプトンの行動を納得できなかったりする。
「ホロコースト否定論」というのは承認しようもない「暴論」なのだが、アーヴィング自身ヒトラーに心髄する人物であり、当時ヨーロッパでは「ネオナチ」の動きが表面化してきた時代でもある。しかし、たんじゅんに感情的に「あんたは間違ってる」というのではなく、そのことを理詰めで<証明>しなければならない。
ランプトン弁護士は、アーヴィングのいう「アウシュビッツはドイツ軍SSの防空壕だったから、格子付きののぞき窓が付けられたのだ」という主張を、SSの宿舎からアウシュビッツへの距離から否定する。アウシュビッツでのランプトンの行動は、この点を確認するためだったのだとリップシュタットは納得する。また、裁判でのアーヴィングの発言から、判決には無関係とはいえ、彼の差別主義、反ユダヤ意識もあらわにはなる。
長期にわたった裁判はアーヴィングの敗訴に終わる。その判決での裁判長のことばが重かったので、観ながら書き写してしまった。
「表現の自由を悪用する者からその自由を守るため、何でも述べる自由はあっても、嘘と説明責任の放棄だけは許されないのです」
思うことのいろいろある作品で、アーヴィングという男は日本でいえばまさに「ネトウヨ」で、日本でもいまだに「南京虐殺はなかった」「731部隊などなかった」さらに「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」という人物がSNSなどに湧いて出てくるわけで、この映画の状況とイコールに考えられるところが多い。
ではこの映画のように「説明責任」を要求すればどうか、ということになるが、SNSというものは「裁判所」などであるわけもなく、そういう存在は言いたいことだけを言って議論は打ち切ってしまうのである。
このことはこの映画で「ホロコーストの生き残り証人」に発言させなかったように、日本でも(逆ではあるけれども)「ネトウヨ」に言質を与えてはいけないと思うしかない。SNSというシステム、この映画のように理詰めで議論を進めることにはまったく向いていない。「ネトウヨ」がのさばるのもこれゆえではあるだろう。
ただ、今は「SNS上での誹謗中傷」に関しての対策も進んでいるようだ。まずはこのポイントから、「差別主義」的発言への規制が強まることを期待すべきだろうか?(あまり期待できないな)
映画の中で引用されたゲーテの言葉を、ここに書いておく。
「卑怯者は、安全なときにだけ居丈高になる」
今のSNSは、そんな卑怯者らへの「安全」な場になっている。