ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-09(Thu)

 夢をみていた。わたしは、まだ小学生ぐらいのわたしの娘とふたりで郊外の道を歩いているのだけれども、戦闘機のような飛行機が空からわたしたちに迫ってくる。どうやらわたしたちを攻撃しようとしているようだが、わたしたちの頭上を通り過ぎて、少し先の傾斜地に墜落してしまう。わたしは攻撃から逃れたという安心感からか、娘に「(あれは)エノラ・ゲイだったね」などと話す。「もう安心」と思っていたのだけれども、その飛行機が墜落したあたりから、大きなティラノサウルスのような恐竜が飛び出して来たのだった。あの映画『ジュラシック・パーク』に登場したようなティラノサウルスなのだけれども、体の幅が異様に狭いというか、魚でいえばカワハギみたいな感じで、体は平べったく、その背中とかはそそり立っていたのだった。夢では、わたしたちのすぐそばにそのティラノサウルスがいたのだけれども、あんまり危機感はない。まだ夢はつづくのだが、このあとの夢の記憶はあいまいで、ほかにもう一機の飛行機の攻撃があったように思う。どちらにせよわたしたちは「無事」だったようだ。

 朝、昨日いちにち降りつづいた雨ももうやんだだろうと、天気予報も確認して「折りたたみ傘」も家に置いて家を出たが、外に出るとうっすらと雨が降っているようで、いかに天気予報がアテにならないかということをまた感じたが、まあ傘が必要なほどの雨でもなかったからいい。
 勤め先の駅で降りるとまるで雨の気配もなかったし、とにかく昨日街路樹の剪定が行われたせいで、仕事場の前の歩道にほとんど落ち葉も落ちていなくってちょっと安心。まあ、人によっては「冬は歩道に落ち葉がじゅうたんのようにあってこそ」という人もいるだろうか。わたしも気分次第ではそう思ってしまうこともありそうだ。

 今日は内科医へ行く。単に処方薬がなくなったから処方箋をもらいに行くだけみたいな通院だけれども、いちおう簡単な検診を受ける。その検診を受けるまでにけっこう時間がかかり、持って行った文庫本、パトリシア・ハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』の一篇、「たぶん、次の人生で」を読み終えてしまった。

 主人公のエレノアは早くに夫と死別し、今は自宅で縫物の仕事をし、猫のベシーといっしょに暮しているのだけれども、ある日、身長2フィートほど、四角い頭をした「もの」が部屋に入ってくる。いちおうズボンをはき、靴を履いてはいるが、醜いと言っていいのだろう。それを見たエレノアは「出て行って!」と言うのだが、それは「あんたに危害を及ぼすつもりはないよ」と返答する。「なんか、手伝ってあげるよ」と言われ、納屋の重たい荷物を外に出してと頼むと、小さいくせして力持ち。やってのけてくれる。
 友人の女性にその「もの」の話をして、家に来てもらうのだが、彼女にはその「もの」の姿は見えないのだった。エレノアはしばらくのあいだその「もの」といっしょに生活する。あれこれと力仕事をやってもらい、「もの」は食べる必要はないというが、「それでは」と言って、パンとか食べてもくれる。
 「もの」は、「自分の姿を見ることのできる人間は世界に1ダースもいないんだ」と言う。
 しかしある朝、猫のベシーは首を折られて死んでいた。「もの」は「オレの性(さが)でね」と言い、「出て行ってほしいだろ? うん、出て行くよ」と、いなくなってしまう。
 うまくあらすじが書けないけれども、エレノアは猫が死んだからというのではなく、自分は死ぬのだとわかる。浴室で、手首を切って自殺する。死ぬ前にエレノアは、自分はあの「もの」を愛していたのだと気づく。そういう話。

 ちょっと、外で読むのにはヤバかった。何が自分の琴線にふれたのか、読み終えて(これから診察だというのに)目から涙があふれてきてしまった。小説の中に出てくるその「もの」とは、わたしの中で何か「摂理」のようなものに思えてしまったのだろう。
 「摂理」というものは、時に残酷で、時に優しいものだろうか? それで、「摂理」とは何なのか? 思うところの多い作品だった。まだ思い出しても涙ぐむ。

 クリニックからの帰り、道路沿いの家の側壁に、「ミノムシ」がはりついているのを見つけた。こういうところにもはりつくのだね。無事に成長できるのだろうか(これは、ミノムシの生きる「摂理」なのだろうか)。

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 夜は『鳥の生活』を読み継ぐ。ちょっとこのところペースが落ちて、まだ「さえずり」に関しての章。
 ある種の鳥において、雌鳥は魅力的なさえずりを響かせる雄鳥に惹かれるということを前までに読んだのだったが、その「惹かれる」というのは「交尾、産卵の準備が出来る」という、ある種「性的な興奮」のことのようで、そりゃあやっぱり、この人類でも男性歌手が歌う歌声に女性が性的に興奮するのとおんなじではないか、と思うのだった。鳥の場合、経験を積んだ雄鳥のさえずりは、より確実に雌鳥の「心をつかむ」のだという。
 まあそういう鳥では雌鳥はさえずらないから、そこで「女性歌手に男性が(性的に)興奮する」わが人類との単純な比較はできないだろうけれども、どこか「鳥」と「人」とで、共通する何かはあるのではないか、などと思うのだった。