ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-08(Wed)

 今朝(深夜)も、ふと目が覚めるととなりのキャットタワーの上で、ニェネントくんがわたしのことをじっと見ていた。

       f:id:crosstalk:20211210155030j:plain:w400

 だいたいニェネントくんが眠っているのはわたしが仕事に出ているあいだのようで、夜中はそこまでに「睡眠時間帯」というわけでもないだろうか。それで、夜はこうやってずっと、わたしのことをウォッチングしていたりして。Do you love me?

 雨の一日。ちょうど先週の水曜日も強い雨が降って、職場の前の街路樹の葉が雨に叩き落されて、道路がすごいことになったのだったが、この日も一週間前の再現になった。ただ、今日は雨がずっと降りやまないので掃除はしないで放置。
 このあたりの街路樹はこのところ、順番に枝の剪定を行っていて、道路が枯れ葉のじゅうたんになる前に枝を大々的に切り落としている。昨日、わたしが仕事を終えて帰るときにはウチのとなりのビルの前の街路樹の剪定が行われていたので、「ひょっとしたら昨日の午後とか、ウチの前の街路樹も枝を落としてくれたのではないか?」と思っていたのだけれども、残念ながらまだだった。それでも10時頃には都の道路局の車とか業者の車とかがやって来て、ようやくウチのビルの前の街路樹の剪定が始まった。ついでに道路の掃除もやってくれたのだが、雨で濡れて道路に貼りついた木の葉はなかなかに片付いてくれないのだ。こんな雨の日にやるのではなく、一日早く昨日のうちにやってしまっておけば、仕事もずっと楽だっただろうにと、こんな雨の中に作業している方々に同情する。

 こういう街路樹の剪定は2~3年に一度ぐらいで行われ、去年も一昨年も剪定はなかった。一昨年はその前の年に剪定を済ませていたわけで、そこまでに枝も育っていなくって落ち葉の量も少なかった。去年は切られた枝も育ち、相当の量の落ち葉だった。
 とにかくは今日作業を終えた街路樹はほとんどの枝も落とされてしまい、もう木の葉もわずかしか残っていない。もう明日からは道路の落ち葉のじゅうたんもなくなるだろう。そしておそらくは来年もまた、枝もそこまでに育たないので落ち葉の量もさほどに多くはならないだろう。まあ問題はその次の年になるけれども、そのときにはまた剪定が行われることだろう。

 仕事を終えて帰宅し、この日も「Spotify」。今日はSteely Danの「Citizen 1972-1980」を聴く。これはSteely Danの1972年のデビューから1980年の「Gaucho」までの7枚のアルバム全部と、若干のアルバム未収録曲とかを収めたもので、全66曲、全部聴くと4時間を軽く超えてしまう。まあBGMのつもりで、この日記を書いたりしながら聴いていたのだけれども、2枚目のアルバム「Countdown To Ecstasy」の中の「Show Biz Kids」を聴いてガバッと覚醒。う~ん、久々に聴いたけれども、やはりエキサイティングな素晴らしい曲である。
 この曲は最初っから最後まで、バックの女性コーラスが延々と「Lost Wages」(稼ぎを失う)と歌っているのだけれども、これが「Las Vegas」に聴こえるよね、というシャレになっていて、歌詞も

While the poor people sleepin'
With the shade on the light
While the poor people sleepin'
All the stars come out at night

 という具合でヤバいのだけれども、この「Las Vegas」=「Lost Wages」というのは、かの有名な(映画にもなった)過激なコメディアン、Lenny Bruceの演ったジョークからの引用だという。
 この曲はSteely Danのデビューから3枚目のシングルにもなったのだけれども、それまでの2枚が順調にTop20入りのヒットになったというのに、この「Show Biz Kids」は50位以上にも行かないというショボい結果になってしまった。う~ん、わたしはこの曲は「名曲」だと思うのだがなあ。やっぱ、歌詞が辛辣過ぎたのか、それに歌詞の中に「ヤツらはSteely DanのTシャツ着てやがる」というのもあって、そりゃあ「自己宣伝」だろうと敬遠されたのか。

 ま、それでもSteely Danの次のシングルはあの「リキの電話番号(Rikki Don't Lose That Number)」というわけで、けっこうなヒットになるわけだけれども。

 っつうことで、この日はSteely Danにどっぷり。わたしも昔は愛聴していて、すばらしいユニットだった(来日公演も行ったぞ!)。

 さて、この日の夕食は、昨日使った牛乳がまだ半分残っていて、わたしは牛乳だけ飲むとお腹の調子が悪くなったりするから、何か料理に使い切りたい。白菜もまだいっぱいあるし、今日は「白菜と鶏肉のクリーム煮」ということにした。レシピを調べると、とろみをつけるのに小麦粉とか片栗粉を使うとか書いてあるのだけれども、わたしは「とろみ」など必要ないので牛乳だけ。うん、わたし好みのイイお味に仕上がった。

 今日のパトリシア・ハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』は、「狂気の詰め物」という短篇を読む。
 主人公の奥さんは偏狭な趣味(?)を持っていて、それまで飼っていたペットたちが亡くなると、そのペットを「はく製」にして自宅の庭のあちこちに置いてあるのだ。どうやらもう、10匹近くのはく製が庭を飾っているらしい。主人公はそういう趣味がイヤである。そりゃそうだ。ところがあるとき、どういう経緯からか週刊誌がその庭を取材して写真を撮って掲載するという段取りになっていた。主人公はそんなことに我慢ができないのだが、そこでずっと以前に主人公が浮気して、奥さんにバレて別れさせられた女性のことを思い出す。主人公は今もその女性を愛していた。
 主人公が何をしたかというと、街のデパートと交渉してウィンドウに飾られていたマネキン人形を借り受け、かつての恋人が着ていたデザインの服を着せ、彼女のような化粧をほどこし、妻のペットたちのはく製の置かれた庭のベンチに、そのマネキンを座らせるのだった。
 それは妻の奇矯な趣味への「しっぺ返し」のつもりだったのだが、いざ、そのマネキンを庭に置いてみると、主人公の心にはそのかつての愛人への愛情がまざまざとよみがえるのだった。そして、主人公はある究極の行動を取る。
 むむむ。痛いよね。それは主人公の妻が死んでしまったペットたちをいつまでも身近に置いておきたくて「はく製」にした行為に併行するものでもあり、そして大きな「皮肉」でもある。最後の行為への、主人公の「内面」を想像するときに、シンパシーを感じさせられるものだった。