ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-07(Tue)

 昨夜はまた、ベッドの中でGrateful DeadのCDを聴き、途中でそのまま眠ってしまった。夜中に目が覚め、つけっぱなしになっていたラジカセの電源を切ってトイレに立つ。それでまた寝ようとベッドに入ると、やはりニェネントくんがわたしの上に跳び乗ってくる。いつものように「ふみふみ」をやっているのだけれども、目を開けてニェネントを見てみると、毛布をしっかりと口にくわえて持ち上げている。やはりお母さんのおっぱいを思い出しているのだろうか。
 そのうちにわたしの左腕の上で横になり、そこでおとなしくなった。わたしの腕の上で寝てしまったのだろうか。
 朝(といってもまだまだ深夜)、わたしが起きる時間が近づいて自然に目が覚めてみると、まだニェネントくんはわたしの腕の上でそのまま寝ていたのだった。

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 わたしが起き出すと、ニェネントくんは朝ごはんが食べれるので喜んで、キッチンへ先回りして走って行く。そんなニェネントくんに「おはよう、ニェネントくん!」と言葉をかけて、朝ごはんを出してあげる。ニェネントくん、がっつく。
 わたしはなんだかんだと出勤の準備をして、だいたい4時半になるとテレビもパソコンも消して、「さあ、行くか~」と立ち上がる。そうするとニェネントくんもわたしが出かけてしまうのがわかるようで、とつぜんにわたしを見て「にゃあにゃあ~」となきはじめる。そわそわと動き回り、わたしが靴を履こうとするときは玄関ドアのそばの壁の角にからだをすりつけ、わたしのことを見つめてくれる。まあ「お見送り」というか、ツンデレなニェネントでもやはり、わたしに行ってしまってほしくはないのだろう。愛おしいニェネントくんである。わたしもドアを開けて外に出るときには必ず、ニェネントくんに「行ってきます。バイバイ」と声をかける。

 今日も寒い一日になった。夜には雨が降り始め、明日は一日雨になるという。この日は仕事のあと、歯医者で今後の治療方針とかの相談というか、ディスカッションがある。歯医者に行くと、この日はいつもの担当医ではない初対面の医師だった。
 先週のいつもの担当医の話では「インプラントは1本で何とかなるだろう」ということで、費用的にも安いのでホッとしていたのだが、今日の話ではそうではなく、なんと「やはりインプラントは4本やらないといけないのではないか」と、まるでちがう話なのだ。とりあえず医師と話をして、「まずは手前の2本だけを先に処置し、残りはしばらく期間をおいてやりましょうか」ということ。まあそれで決定ではなく、他にもわたしの側で決定しておくべきこともあるので、また来週にもういちど方針を決めるということ。ちょっと「あらあら」というところで、ショックではあった。とりあえずはまた来週の話だ。

 帰り道、今日の夕食はどうしようかと考える。まだブロッコリーがあと1食分残っているし、白菜もいっぱいあるから、やはりブロッコリーと白菜とで何かこさえたい。これで牛乳でも買って合わせて「クリーム煮」みたいなのにしようかと考え、スマホで検索しても牛乳さえあればつくれそうなので、牛乳を買って帰る。
 夕方からこさえ始め、見たレシピでは「ハム」を使いましょう、みたいなことだったが、賞味期限が迫っていたフランクフルトに取り換えてつくった。意外とちゃっちゃっと完成したのだが、食してみるとこれがすっごい美味だった。「これはおいしい」と、食べかけだけれども写真に撮って記録する。

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 しかしあのでっかいブロッコリーは、けっきょく6食分の役に立ったわけだ。だいたいいつもはブロッコリーを買っても2食、せいぜい3食で食べ切っていたわけだから、普通のブロッコリーの2倍とか3倍の量があったということだろうか。なんか食べ切ってしまうと、またブロッコリーがもっと食べたくなってしまうのだった。

 今日もずっと「Spotify」を聴いたのだが、この日はFairport Conventionを中心に。やはり久しぶりに聴く音源で、懐かしくも新鮮な気もちで聴いた。

 読んでいるパトリシア・ハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』、今日は「無からの銃声」というのを読んだ。この作品はハイスミスの傑作長編『変身の恐怖』の裏返しのような作品で、『変身の恐怖』ではチュニジアだかに長期滞在していたアメリカ人作家が、夜中にホテルの自分の部屋に侵入しようとした男にタイプライターを投げつけ、男は部屋の外に倒れてしまう。作家は部屋のドアを閉めるのだが、外では誰かがその倒れた男を引きずって行くような音がする。作家の感触では忍び込もうとした男は死んだのではないかと思うのだが、次の日もそのあとも、周囲では「そんなことは起こらなかった」ことになっている、というような作品。
 この「無からの銃声」では、メキシコの小さな町のホテルに滞在していた若い画家が、ホテルの窓の外で少年を目にする。その少年は寄って来たネコにいやがらせのようなひどい行為をしていて、主人公は「なんてことをやっているのだ」と思うのだが、銃声がして、その少年は血を流して倒れてしまう。ちょうど昼の午睡(シエスタ)の時間で、ホテルのフロントも近所のレストランもみんな休憩中。主人公は無理矢理にレストランの主人を起こして事の次第を伝え、ホテルのフロントにも伝えてようやく警察が来るのだが、主人公が「犯人」扱いされ、手錠をかけられて留置所に護送され、留置所で一晩を過ごすことになる。
 主人公はアメリカの領事館やヒューストンに住む姉に連絡を取るのだが、けっきょくなぜか、「このことは以後追求しないように」みたいに言われ、24時間以内にメキシコから出て行くようにと申し渡されるのだ。
 どうやら殺された少年は近所の「嫌われ者」で、皆が「あんなガキはいなくなればいい」と思っていたようだ。つまり、そういう誰かが少年を撃ち殺したのだが、誰もが「犯人は悪くない」と思っているのか、「事件にしたくない」と思っていたようで、つまり主人公は「警察に通報する」などという「余計なこと」をやってしまったのだ。
 主人公がこの「事件」で何を感じ、何を思ったのかということは、短篇でもあるのであまり書き込まれていない印象があるが、この題材をうんと肉付けして、主人公の内面を掘り下げるならば、『変身の恐怖』と対になる傑作にもなり得たのではないかと思う。