ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-12-06(Mon)

 今日は月曜なので、いつものように「ふるさと公園」を通って帰る。この日は曇り空で、公園に遊びに来ている人はほとんどいなかったが、水辺で釣りをする人の姿がいつもより多かった気がする。
 公園の真ん中あたりに、一羽のユリカモメの姿があった。前に手賀沼公園でユリカモメの群れをみているので、ようやくこの「ふるさと公園」にもやって来たかというところだけれども、普通ユリカモメは群れで行動すると思っていたのに、一羽っきりだった。
 よく見るとこのユリカモメ、片足がない。切断された右足の切り口ももう丸くなっていて、足を失ってからもうずいぶん経っているのだろう。それでも、こうやって一羽だけで行動しているというのも、片足しかないためではないかと思ったりする。からだはしっかり肥えていて健康そうだけれども、これからも元気で生き延びてほしい。

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 今日はやはりオオバンがたくさん。そして奥の池ではカルガモたちがのびのびと泳いでいた。そして一羽のアオサギの姿も見たけれども、この日はコブハクチョウの姿は見られなかった。

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 公園の外の枯れ木の枝には、おそらくはヒヨドリだろうという鳥の姿があった。この日、公園周辺で見られた野鳥はこんなところ。
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 さて今日は帰宅してからお楽しみ。昨日はダウンロード(インストール)したものの、いろいろと検索しただけでじっさいには聴くことをしなかった「Spotify」を、いよいよじっさいに聴いてみようというお楽しみ。
 パソコンから外部出力でオーディオコンポ(そんなに高級なものではないけれども)に接続し、「さて、最初に何を聴こうか?」と考え、音質チェックも兼ねてインストゥルメンタルものを聴こうと。それで、Bert Janschのアルバム「Avocet」を選んだ。
 このアルバムは昔ヴィニール盤もCDも持っていて、そのCDからのコピーCDがどこかにあるはずなのだけれども、この「ジャケットのない」何百枚もあるコピーCDから、聴きたいCDを探し出すというのがまさに「難作業」で、いつも「あのCDをコピーしたのがどこかにあるはず」とは思うのだけれども、とにかく探し出すのがめんどいので、そこで「もういいや」と探して聴くのをやめてしまう。これが近年までのわたしの不毛なる「音楽生活」なわけだけれども、そういうのではこの「Spotify」は聴きたい音源を検索すれば出てくるから容易い。わたしの「音楽生活」にも大きな変化があるだろうか。

 さて、アルバムを選んで再生させる。‥‥これが、かなり相当に音質がいいと思った。もちろん、YouTubeで聴くのとは大ちがいだし、CDで聴くのとも大差がないように思う。
 ただやはり、「無料プラン」での聴取であるだけに、たまに曲間にコマーシャルがはさみ込まれてしまうのがまことに残念ではあるけれども、かなり気分よく聴くことができた。久しぶりに聴くBert Janschの「Avocet」、やはり素晴らしかった。

 「Avocet」を聴き終えたあと、「こ~んな音源が聴けるとは思ってもいなかった!」というのを連続して聴く。いちおう(誰もわからないだろうとは思うが)そのタイトルを書いておくと、John Kirkpatrick & Sue Harrisの「The Rose of Britain's Isle」、そしてBob Davenport & The Rakesの「Bob Davenport & The Rakes 1977」とを続けて聴く。素晴らしい! 何十年ぶりかに聴く音楽に、わたしは涙さえ流したのだった。
 これらの音源についてのわたしなりの解説、そして聴いた印象とかもこの日記に書いてみたい気もちもあるが、またこの日記を書くのにいそがしくなってしまうので、ちょっとむずかしいかな。
 そのあとも2枚ほどのアルバムを聴いたが、自分で決めたのは「1枚のアルバムを途中で聴くのをやめたりせず、必ず最後まで通して聴くこと!」というルール。
 これからもこの「Spotify」にはお世話になることと思うが、このルールは守りたい。

 今日は読んでいるパトリシア・ハイスミスの『ゴルフコースの人魚たち』から、「カチコチ、クリスマスの時計」を読んだ。
 ミシェルとシャルルの夫婦はそれなりに裕福な暮らしをしているが、ミシェルは親の代から裕福なのに対して、シャルルは貧しい出自から成り上がって会社を経営するまでになった男。まだ二人は若く、子どもはいない。
 ある日ミシェルはタクシーから自宅前で降りたところで、貧しい身なりの男の子から「奥さん、1フラン恵んで下さい」と声をかけられ、ポケットにあった10フラン札をあげる。シャルルはそんなミシェルの、階級の違う人たちへの接し方に「見下すようなところ」があるとは思っていた。
 ミシェルはまた偶然にその男の子に会うが、きちんと先日の礼を述べる「礼儀正しい子」だと感じて自宅にあげてしまう。
 実はそのあと、リヴィングに置いてあったペーパーナイフが見当たらなくなっているのだけれども、ミシェルはそのことと男の子とを結びつけては考えない。
 クリスマスが近づき、ミシェルはあの男の子にクリスマスのプレゼントをあげたいと思い、偶然町で出会った男の子を招く。
 男の子が帰ったあと、玄関に置いてあった置時計が失せていた。その時計はシャルルにとって父親から譲り受けた思い出深いものだった。「なくなった事情」をシャルルに話したミシェルは、ほとんど同じ置時計が町で売られていたのを買えばいいというのだが、シャルルは「そういうことではない」という。しばらく後に、ミシェルとシャルルは離婚する。
 これは、ミシェルからすれば「善行」が悪い結果を生んでしまったという話で、時計も買い直せばいいではないかということだが、シャルルにとっては「とんでもない」ことで、ここでこの二人の「出自」の格差が問題になる。わたしは「リッチな人間」ではないから、シャルルの側につくだろうな。

 夜寝るときは、昨日買ったGrateful DeadのCDを聴き、『鳥の生活』を読み継ぐ。この夜読んだのは、引きつづいて「鳥はなぜさえずるか?」という問題なのだけれども、基本的にさえずるのは雄の鳥であり、それは自分のテリトリーを他の雄鳥に知らせることであり、同時に「いかに多彩なさえずりを行うか」ということで、これから配偶することになる雌鳥を引きつけるのである。雌鳥は、魅力的なさえずりを響かせる雄鳥に惹かれる。なんだ。人間とおんなじではないか。‥‥おっと、人間は美しい声で歌う女性に惹かれるのだったか?