原作は劇団「イキウメ」の前川知大による舞台作品ということ。「イキウメ」の名前は知っていたし、シアタートラムとかでもこの作品の公演はやっていたらしいが、わたしは観ることはなかった。ニアミスである。
脚本は黒沢清監督自身と、「トウキョウソナタ」でも脚本を分担していた田中幸子。撮影は芦澤明子。
ストーリーはフリーライターの桜井(長谷川博己)が出会うふたりの「宇宙人」(恒松祐里と高杉真宙)のパートと、行方不明になって戻って来たときには侵略されて「宇宙人」化していた加瀬真治(松田龍平)と、その妻(長澤まさみ)のパートとで分かれて進行する。この三人の「宇宙人」は、本格的な地球侵略の先行部隊で、人間の持つ「概念」というものを奪って調査している。その「概念」を奪われた人は、当然というか、奪われた「概念」を失ってしまうのだ。長谷川博己と長澤まさみとは、そんな宇宙人の「ガイド」役とされ、彼、彼女はとりあえずは「概念」を奪われることはない。
どうもこの作品、長谷川博己が絡むパートでの、「宇宙からの地球侵略」という、1950年代ぐらいのアメリカのB級SF映画からのパロディ、というかパスティーシュという要素と、松田龍平と長澤まさみとの「夫婦愛」というパートに分かれるように思う。
その長谷川博己パートは、黒沢清監督らしくもない(というか、彼のVシネ時代の演出に戻ったような)、どこかチープな「アクション」演出が見られるのだけれども、それに「対抗」するような松田龍平と長澤まさみとのパートでは、あの『CURE』での役所広司と中川安奈の夫婦との関係をそのまま反転させ、さらに180度回したような空気感がある。
そのふたつの、分裂しそうなパートをつなげるのは、この作品での黒沢清監督の意外な側面、コミカルな演出にあるのだろうか。まあそこまでのことはないのだけれども、わたしは観ながら「これって、ティム・バートンの『マーズ・アタック!』?」って思ってしまったところもある。
しかしこの作品、これまでの黒沢清作品から引き継いでのスクリーンプロセスによる「浮遊する車内」や「風になびくビニールカーテン」、そして唐突な暴力シーンなどが数えられ、「やはり黒沢清作品」という面白さ、楽しさに満ちていたと思う。
いろいろと観たあとに気になるところもあり、もういちど観てみたいという気にもなっているのだけれども、恒松祐里の「ゴーゴー夕張」的な暴力女子高生は、ステキだった。
そしてやはり、芦澤明子の撮影の魅力を楽しむというのも、この作品のすばらしいところでもある。ある意味、黒沢清監督の作品では「破格」のところもある作品だけれども、その「破格」をこそ楽しめる作品でもあるだろう。