ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-10-03(Sun)

 夜中、目が覚めた。読書灯をつけて横を見ると、ベッドのとなりのキャットタワーのてっぺんで、ニェネントくんがわたしをじっと見つめていた。
 ‥‥首だけ、ポーン。‥‥ニェネントくんは、まるで妖怪みたいだ。

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 夜に3回ぐらいそうやって目覚め、そのたびに「夢をみていたな」と思ったのだけれども、朝に目覚めたときにはもう、見た夢のことは何も思い出せなくなっていた。

 けっきょくこの日も午前中に北のスーパーに買い物に出かけ、自分用にカフェオレの500mlのペットボトル、そしてニェネントくんのネコ用カニカマ、ネコ缶などなどを買う。
 今は仕事のある日はカフェオレのペットボトルを職場に持って行って、休憩時間とか時間の空いたときに飲んでいるのだが、このペットボトルを安く売っているのはこの北のスーパー、南のドラッグストアぐらいしかない。東の大きなスーパーにも売ってるけれども、遠いからあまり行かないし。
 別のメーカーの「カフェオレ」を買ってみたりもしたけれども、ひとつは「カフェオレ」というより「カラメル」という味だったし、ひとつは容量が600mlとちょっと多いのだけれども、その多い分以上に水っぽくって、だまされた気がしたのだった。オリンピックのスポンサーをやって、頭の悪いDJにバカをやらせていた某コカ・コーラ社のドリンクはもう買わないことに決めているし、けっきょくこの日は北のスーパーで、いつものカフェオレを買ったのだった。
 スーパーからの帰り道、もう10月になったというのに咲き誇っている、小さなヒマワリの花々の姿を見た。

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 昼食は残っていた山芋でさいごに「とろろご飯」をやって食べ(やはり美味しかった)、そのあとは先週読み始めたパトリシア・ハイスミスの『孤独の街角』と、金曜日に買った北中正和氏の『ビートルズ』とをちょっとずつ読む。
 北中正和氏の『ビートルズ』は、わたしの予想した通りに、ビートルズのバックグラウンドになるさまざまな(英語圏に限らない)ポピュラー音楽、トラディショナル音楽について書かれていて、とっても興味深くも楽しい本である。明日には読み終えたいところだ。

 さて、ハイスミスの『孤独の街角』を読んでいて、「なんか、(日本語として)こなれてない訳文だなあ」という気もちもあったのだけれども、そのうちに「登場人物の知り合い」ということで、「ミカエル」というのが登場した。
 ‥‥出た!「ミカエル」! まさかまだ「実在」していたとは知らなかったけれども、ずいぶん昔に児童書の翻訳で出くわして以来、久しぶりの「遭遇」である。
 「ミカエル」とは「天使」の名前で、世界中で今、リアルに「ミカエル」と発音される名前の人などいないのだ。フランスなら「ミシェル」で、ドイツなら「ミヒャエル」。英米圏なら当然「マイケル」である。もちろん、もとの綴りが「Michael」だから、ローマ字的な読み方をすれば「ミカエル」にもなるだろうが、それはそう読んだ人が「わたしは英語を知りません」と告白するようなものだ。というか、「翻訳者」としての常識の欠如であろう。あきれたものである。
 この『孤独の街角』の翻訳版文庫が刊行されたのは1992年と、ちょっと古いことは古いのだけれども、そういう問題ではない。というか、この翻訳者は「Michael Jackson」をミカエル・ジャクソンと翻訳表記するつもりだろうか。

 この「Michael」=「マイケル」=「ミカエル」話には、わたしが昔聞いた「おまけ」の話があって、ある映画で大天使「Michael」が登場したとき、あの「誤訳」で有名な「字幕翻訳家」は、これを逆に「マイケル」と字幕を付けてしまい、大顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまったことがあったという。っつうかこの事件は、実は「字幕翻訳家」はじっさいには、映画そのものの「音声」を聴いて翻訳しているのではないということがあらわになってしまったし、この翻訳家の場合は『孤独の街角』の翻訳家とは正反対に、「大天使」といえば「ミカエル」だという「常識」が欠如していたことがバレてしまったのだった。この字幕翻訳家の場合には、「Michael」=「マイケル」という、この人にとっての「常識」が仇となってしまったのだった。

 それでわたしは夕方から、またもや「GYAO!」で、無料配信がこの日で終わってしまう、黒沢清監督の『散歩する侵略者』を観るのだった。
 わたしはこの映画は公開当時に映画館で観ていたのだが、ちょうどわたしの「記憶障害」の谷間のときに観てしまったのか、今ではこの映画のことはほとんど記憶していないのだった。悲しいことであるが、「初めて観る」気分で観たこの映画、昨日観た『テリー・ギリアムドン・キホーテ』みたいに、すこぶる楽しい映画ではあった。
 ‥‥映画とは関係ないことだけれども、この放映は「GYAO!」による「無料配信」だったのだが、観ているあいだにいちどもCMが挿入されなかったので、逆にびっくりしてしまった。