ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-08-17(Tue)

 朝目覚めてベッドから起き、キッチンへ移動する。ずっと起きていてわたしが起きるのを待っていて、ベッドのそばからわたしについて来るニェネントくんに「おはよう!ニェネントくん!」と朝のあいさつをして、朝ごはんを出してあげる。空腹のニェネントくん、がっつく。わたしはリヴィングへ行ってテレビをつける。今朝はいつものイメージ映像ではなく、何だかドキュメント映像を放映しているみたいだ。あっ!コレはヤバい! これは昔見たドキュメンタリーで、北海道の知床あたり、ヒグマの出没する地域で漁業を営む老人の、ヒグマとの「共生」を描いたドキュメントだ。漁師はぜったいに近づいてきたヒグマにスキを見せない。そしてぜったいに「食べ物を与えない」のだ。このドキュメント撮影の時期、ヒグマたちの食糧は枯渇し、ヒグマらは飢えている。そこでコグマを連れた親熊の映像があり、食べるもののない親子はあちこちさまようのだが、ようやく見つけた食べ物は飢えている親が先に食べ、コグマは何も食べることが出来ないのだ。
 わたしはこの先を知っている。ついにコグマは衰弱して死に、親熊はそんな自分のそばで横たわるコグマの亡骸を「どうしたのよ」とばかりに前足で触れる。コグマの死骸は森の斜面を転がって落ちて行くのだ。
 これはわたしにとってトラウマ的な「悲しい映像」ナンバーワンで、さいしょに見たときはずっと涙が止まらなかった。そ、そ、そ、そんな映像が、この朝に再放送されていたのだ。なんということだ。いや、わたしは決して、「そんなありさまを撮影してるんだったら食べるものをあげればいいではないか」などと考えるわけではない。これは残酷な「摂理」なのだ。しかしそのコグマがあまりに愛らしかっただけに、やはり「トラウマ」になったのだ。
 もちろんわたしはそのコグマの死の場面になる前に、気付いてすぐにチャンネルを変えたが、どうしても記憶はよみがえる。朝から何とも悲しい気分に打ち落とされてしまった。

 実はこの哀れなコグマの映像は、このドキュメンタリー作品から「かわいい部分だけを」切り貼りされて、やはり早朝のこの時間帯に放映された別の「かわいい動物の子ども」というイメージ映像の中に、子ネコや子犬のまさにかわいい映像といっしょにされて放映されたことがあった。わたしはそのイメージ映像の中に出てきた「かわいい」コグマを見て、「これはあのドキュメンタリー番組の中で死んでしまったコグマではないか」とすぐに気づき、「ちゃんとその映像の由来も知っている視聴者もいるのだから、あんまり不用意な編集はしてほしくないな。<かわいい>なんていってられないのだよ。」と思ったものだった。そのときもそのコグマの運命を思い出して、ひとしきり涙を流してしまったのだった。

 出勤時間になり、悲しい映像のことは振り切って家を出る。今日も雨は降っていないが、曇天である。駅のそばで写真を撮ってみたが、もう夜中のように暗い。昨日も同じような感じだった。

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 この日も、雨が降るんだか降らないのか、よくわからない予報が出ている。空はいつ雨が降り出してもおかしくない空模様だった。
 勤務先の駅で降りて、勤務地まで歩くのだが、そのとちゅう、歩道の真ん中にネズミがうつぶせになって死んでいるのを見てしまった。いったいどういう状況でここで死んでしまったのか。見たくなかったけれども、そのネズミの死骸の閉じられた目の曲線が愛らしかったのが目に入ってしまい、「こんなにかわいい動物なのに」と思ってしまった。せめてそんな歩道のど真ん中から脇にでも寄せてあげようかとは思ったけれども、よけいにその死にざまが記憶に残りそうで、出来なかった。
 なんでこの朝は、あのコグマの死を思い出させられるテレビを見てしまい、またこうやって死んでしまったネズミのことを見なければならないのか。なんで朝からこんなに悲しい思いに浸らなければならないのか。早朝からディープだ。たとえどんな小さな虫けらでも、その「死」を目にするのは悲しいことだ。悲しい。そんな気もちで仕事をやっていた。

 仕事を終えたときは少しだけ雨が降っていた。今日は自宅駅からは「野良ネコ通り」を通って帰った。通り沿いの家の駐車場に停められた車の屋根の上で、「ヒゲ殿下」と「ハナクロ」とが並んで寝ている姿に出会った。この2匹はずいぶん前にもいっしょに寝ている姿を見た記憶がある。やはり、ひょっとしたら血縁関係があるのかもしれない。しかしのんびりと幸せそうな様子だ。朝の悲しい気分をどこかへやってくれるような、いい光景を見た。

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 帰宅したらしばらく、ニェネントくんがわたしのまわりでウロウロしていた。わたしが近寄ると逃げてしまう「不実」なニェネントくんだが、この日はうまいことつかまえて抱き上げた。
 このごろしばらくやっていないので、ニェネントの両前足に手をまわして持ち上げ、「高い高~い!」と持ち上げて上に高くあげる。赤ちゃんにやってあげるのと同じだ。天井近くまで出来るだけ高く持ち上げるのを繰り返し、何回かやってあげてから高いところでポ~ンと上に放り上げ、手を離してやる(コレは赤ちゃんにはやってはならないことだ)。
 ネコはそういう平衡感覚は抜群だから、空中でからだをひねって体勢を取って、ちゃんと両足(四本の足)でストン!と床に着地する。見事なものだ。
 ニェネントくんとして「イヤだよ、そんなことやめてくれよ!」と思うのならば、さっさと和室とかに逃げて行くものだろうけれども、彼女は着地したところでそのままじっとしている。それは「そういうの、嫌いじゃないね!」ということであろう。というか、好きなのではないのか。「もう一回やって!」ということなのか?
 「では」ということでまた抱き上げて、「高い高~い!」とやってあげる。ニェネントは「ふにゃ~!」とか、わけのわからない啼き声をあげるが、けっきょくはこういうのが好きな遊びなのだろう。実は楽しいのではないのか。そう、しばらくこうやってニェネントくんと遊ぶこともやらないでいたな。もっといっしょに遊んであげよう。これはわたしへの「癒し」でもあるのだ。

 夕方近くになって、リヴィングの窓から明るい陽の光が射してきた。もう、先週の中ごろからずっと曇天、雨の日がつづいていたので、ほんとうに久しぶりの陽光だった。
 窓の外を見て、太陽の方にカメラを向けて写真を撮った。やあ、面白い雲の模様が撮れたなあ。これでもう、長くつづいた夏の雨もおしまいだろうか。

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 今夜は<緊急事態宣言>の再延長を受けて、スカ首相の記者会見があるという。どうせ具体性に乏しい後手後手の「これからの対策」を一方的に語り(というか、原稿を読み上げ)、そのあとの記者からの質問にもまともに答えないという、いつもの記者会見になることだろう。でもこのところ、記者からけっこう辛辣な質問も出るようになっていて、今夜あたりはついにスカ首相もキレて、「うるせえんだよ! あんたらはオレが言ったことをそのまま報道すればいいんだよ!」とか言い出すのではないか?
 ただ、記者会見の時間が夜の9時からと遅いので、わたしは寝てしまうのだった。