ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-08-13(Fri)

 夢をみた。はっきりと記憶してはいないのだけれども、COVID-19のウィルスに関する夢で、わたしの目の前にレトルトパックみたいにパックされたウィルスがあり、その生存期間がもう少しで過ぎてウィルスは死に絶えるはずで、わたしは「もう少しの辛抱だ」と思いながら、そのウィルスのパックを見つめていたようだ。
 現実のこの世界でも、「もうじき、COVID-19のウィルスはこの世界からすべて死に絶えてしまうよ!」というカウントダウンを迎えられたとしたら、どんだけうれしいことだろう。

 天気予報通り、昨夜から雨になっていたようだ。早朝に出勤で外に出ると道路が雨で濡れていたが、それほどに強い雨でもなかった。おどろいたのはその雨のことではなく、外がまるで夜中のように真っ暗だったこと。
 いくら日の出の時刻がだんだんに遅くなってきているとはいえ、こんなに急に暗くなるものなのか。もちろんこれは空が厚い雲におおわれていたせいだけれども、急にここまでに「暗闇」を歩くことになるとは。つい一昨日の朝には燃えるような朝焼けの写真を撮って、この日記にも掲載したばかりだったというのに。
 まあ、あと一ヶ月も経てば、この時刻でこの明るさ(暗さ)が当たり前になってしまうのだけれども、今朝はちょっと、そんな季節の時計が突発的に進みすぎていた。まだまだ、わたしが家を出る時刻は外も明るくあってほしい。

 勤め先の近くでスズメをみて写真に撮ってみたが、タイミング悪く草の中に頭を突っ込んだところになった。他にも何枚か撮ったのだが、み~んなピンボケとかスズメの方が激しく動いてしまってダメな写真。どうもこのところ、「この瞬間!」という写真がうまく撮れない。

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 しかしこの雨、週末はずっと降りつづけ、来週の月曜、火曜ぐらいまでつづくという予報が出ている。洗濯はどうすればいいのだ、という感じである。
 実は今、西日本では未曾有の大雨がつづいていて、各地に「大雨特別警報」が発令される事態になっている。スカ首相は今日、「特定災害対策本部」の設置を表明し、国民に「命を守る行動を」と呼びかけたのだ。そのことはいいのだが、その前に「COVID-19対策」でそのような「呼びかけ」をやったことがあるのか。先日の「新規感染者の<自宅療養>指示」といい、「COVID-19対策」において、スカ首相はとても国民の「命を守る」意志など持ってないようなのだが。
 だいたいこのまさに「緊急事態」において、臨時国会を開催しないというのは「COVID-19対策はもうやりまっせん」と言っているに等しい。何度も書いていることでアホらしくなるのだが、スカの脳は完全に「ワクチン脳」にずっぷり染まってしまっていて、今もまた「10月初旬には国民の8割のワクチン接種を完了させる」などと自慢げに語る。
 今日も東京都の新規感染者数は5773人となり、過去最大数になってしまった。まさに等比級数的な増加ぶりなのだが、スカ首相は「まあ待て。10月初旬には良くなるのだ」と、ただ「ワクチン接種率」だけを頼りにしゃべくるだけなのである。一国の宰相として、この危機的状況で自分が何をしなければならないか、何を国民に訴えなければならないのか、ここまでなおざりに放置する人間もいないだろう。そもそも、その「10月初旬」まではまだ50日以上。いったい、そのあいだのCOVID-19の乱暴狼藉ぶりは「まあ待て」と無視するというのか。そのあいだに感染する人たちのことを、このスカ首相はどう考えるのだろうか。
 今日のネット報道をみていると、スカ首相は4ヶ月半休んでいなくって「疲れているのではないか」との指摘も出ているようだ。そうか? そうなのか? オリンピックはしっかりとテレビ観戦して、日本の金メダリストには祝意のツイートを連投していたのではないのか?
 まあ「公務時間外」に休むのはいいのだけれども、そうやって「臨時国会」も開かず、この4ヶ月半にやったことといえば、「<緊急事態宣言>の再発令」、「新規感染者の<自宅療養>指示」ぐらいのものではないのか。あとは広島での「平和祈念式典」での原稿の読みまちがい、読み飛ばし、そして長崎での式典への「遅刻」などなど。
 それはたしかに「お疲れ」なのかもしれないけれども、わたしなどにはそれは「総理大臣の激務の連続に疲れた」などというより、「そもそも総理大臣の器ではなかった人物がその座についてしまい、それで何にもできないまま重責に疲れてしまった」だけではないのかと思える。この国難の時期でもあり、ただ「ワクチンね~!」としか国民に言えないのであれば、さっさと辞任すべきではあろう。

 今日は昼からテレビを見ていたが、オリンピックのときのボランティアの人たちがどのような活動をし、どのように海外からの選手団・スタッフと心を通わせたか、などというのがやられていた。
 わたしはこういう番組に弱くって、そういうオリンピックにボランティアで参加された人たちのモティベーションであるとか、ほとんどが「無観客」であった競技でボランティアの人たちの果たした役割とかを見て、ついつい「うん、よかったね!」とか思ってしまうのだ。
 わたしは今でも、「東京オリンピック」がああやって開催されてしまったことに異議はあるし、ほんとうを言うとそういうボランティアの人たちに言いたいことがないわけではない。でもそのことは、参加出場したアスリートの方々を批難することにも通じることになる。
 わたしは前にもちょっと書いたけれども、参加出場したアスリートの方々を「このCOVID-19まん延期に」などと、批判するつもりはない。「東京オリンピック」開催を決めたのは例えばIOCであるとかJOCであるとか、東京都であって、日本政府もそのことを「後押し」以上のことをやったわけだが、参加したアスリートの方々は言ってみれば「作戦に駆り出された兵隊」みたいなものであって、それはボランティアの人たちも同じだろう。まあこういう言い方には問題があるだろうけれども、ある面でそういう人たちもまた「被害者」ではあろう。太平洋戦争末期に、「インパール作戦」などというFoolishな作戦が実施され、多くの兵士が無駄死にしていて、このことは今回の「東京オリンピック」とのアナロジーで語る人も多かった。だったら、そんな「インパール作戦」に従軍した兵士らに、わたしは「あんたバカ~!」などと言えるだろうか。そういうことである。
 Twitterなどをみていたら、選手の人たちに「オリンピック開催への疑念」だとか、「今のCOVID-19まん延状況」について語ってほしいなどという意見も読んだ。そういう意見は理解するが、そういうことはじっさいに競技に参加するアスリートにではなく、このような状況で「東京オリンピック」開催を強行した<元アスリート>、例えばあの柔道の方であるとか、スケートの方であるとかに言わせるべき事柄。
 まあそういう<元アスリート>が政治の場に引きずり出されて利用される構造は醜いけれども、アスリートが皆主体性もなく政治の場で利用されてばかりというわけでもなく、今回の「東京オリンピック」に対して批判的なことを語られた<元アスリート>の方はいらっしゃったわけではある。