別れた恋人たちが何年かのちに再会するが、そのとき彼女は別の男と結婚していて、子どももいるのだというこの映画のラスト、「そういうのって小説だか映画だかであったじゃん!」って思い出そうとしてなかなか思い出せなかったのだけれども、やっとのことで「それって『シェルブールの雨傘』じゃん!」と思いあたった。別にストーリーの類似で「パクリじゃん!」とくさそうというつもりではなく、こういうことは(同じ「ミュージカル映画」として)「オマージュ」の範疇のことだろうし。
でも、正直この映画のストーリーはそれこそ「ちゃっ、ちゃっ、ちゃっ」と進行してしまう感じで、うわべをなでただけ、という感想にはなる。
ロサンゼルスの街で、それぞれの「夢」を追い求める男女が知り合い、愛を深めると同時に互いの「夢」への良きアドヴァイザーになるというストーリーで、そりゃあ「いい話」だねとは思えるかもしれないけれども、ストーリーの掘り下げ方が浅いので、それこそそれは「夢物語」じゃないか、とはなってしまう。
リアルさを追求すれば、「金稼ぎ」としてそこまで入れ込んでもいないバンド活動をつづけるか、あくまで「理想」を追うのか、という問題を、この男性がどのように決着をつけたのかわからない。
そして、「ありゃりゃりゃ」とばかりにどん底からハリウッド・ドリームを駆け上がってしまう女性にしても、ただ「才能がついに認められた」的な解決のつけ方で、つまりこの男女、どうやらさいしょっから恵まれた才能の持ち主だったようなのである。それが認められただけのことで、彼らの中でどれだけの葛藤があったのか、この映画からはまったく伝わってこないわけで、ま、「おとぎ話」としては「あり」かもしれないが、大人の観る映画としてはどうなんだろうか?という気もちにとらわれてはしまう。
それと大事なポイントとして、この映画は「ミュージカル映画」として演出されていて、主人公二人は歌って踊ってするわけだけれども、残念ながら二人とも、歌が上手いわけでも踊りが達者なわけでもない。今のハリウッドならばちゃんと歌えて踊れる俳優もけっこういることだろうに、監督は「これでいい」としたわけだろうか。それははっきり言って、「エンターテインメント」をあまりに軽く見過ぎているのではないだろうか。このあたり、この作品が「ミュージカル映画のパロディ」という感じで演出されたのならわからないでもないが(そういうので書いておけば、かつてのゴダールのいくつかの映画~アンナ・カリーナ主演の~の方が、よほど「ミュージカル映画」の楽しさを体現していたのではないだろうか)、これではちゃんとしたエンターテインメントを期待した観客はがっかりするのではないか。
そういう演出に関してもっとモノ申しておきたいのだけれども、この映画の前半にはワンシーンワンカットの長回しで撮られた場面が頻出する。特にオープニングの「高速道路の渋滞」での大勢でのダンスのシーンが「長回しだね~」と思わせられるのだけれども、アレは明らかに演出の間違いで、ダンスこそはダイナミックなものだったことだろうと思うのだけれども、手持ちのカメラで車のあいだとかを縫って行きながらのワンカットの撮影、ものすごくせまっ苦しい。ま、さいごはカメラもクレーンに乗って俯瞰撮影になるのだけれども(苦労したことだろう)、あの場面のダイナミックスさは複数のカメラからの絵の編集で出すべきものだと、観ながら強く思った。
あれだけせまっ苦しいところで撮影するなら、カメラを低い位置にセットしてあおって撮るとか、俯瞰撮影と組み合わせるとか、それこそ演出の手腕が問われる場面だったろうが、「ワンシーンワンカットでやっておけば文句ないだろ」みたいな、結果としては絵作りの「手抜き」場面となっていると思った。
わたしはけっこう「ワンシーンワンカット」の撮影を「見事だった」とか褒めることが多いのだけれども、何でもかんでも「ワンシーンワンカット」ならばいいというわけではないのだ。
ただ、ロサンゼルスの夜のシーンの色彩とか、街の建物を正面から捉えた絵とかは、「きれいだな」と気に入ったものだった。