朝、まだ真っ暗な時間に勤務先の駅に着いて勤務先に向けて歩いていると、ビルのあいだに三日月がかかっていた。「いい感じだ」と夜景モードで写真を撮ってみたが、三日月はぼやけて真ん丸になってしまった。
今日は、ショルダーバッグのいちばんメインの部分のファスナーが壊れた。ファスナーを閉める金具が抜け落ちてしまったのだ。ふつうファスナーのエンド部分はストッパーというか、金具が脱落しないように左右を留めてあるのだが、そのストッパーがさいしょから付いていなかったのだ。
見てみたが、いちど金具が抜け落ちて左右に開いてしまったファスナーはまったく「修理不可能」のようで、「あ~あ、このショルダーも短命だったな(2ヶ月持たなかった)」と思う。まあファスナーが開きっぱなしで使っていいのだけれども、不用心ではある。
仕事からの帰り道にバッグの専門店もあり、ちょっと立ち寄って見てみる。この店のはけっこう値の張るバッグばかりなのだけれども、今はセールで30パーセント引きとか40パーセント引きになっているものがいっぱい置いてある。それでも元が一万円ぐらいするものばかりだから、まあ安くて7千円だな。今のヤツは「安値」に魅かれて買ってしまったわけだし、長く使うものとして、こんどはちゃんとした、それなりに高級なものを買ってもいいとも思う。
いい天気で暖かい。バッグが壊れてしまったというのに、仕事中からなぜか「いい気分」でウキウキしている自分がいる。どうしたというのだろうか。明日からまた3連休になるせいだろうか。
仕事からの帰り道、自宅駅から歩いても空は真っ青の快晴なのだけれども、跨線橋の上から見回すと、東の空にだけちょこっと雲が見えたので、そっちにカメラを向けて撮影してみた。
この写真を見ると、空のほかにはただ木々が写っているだけで、建物はまったく見えない。いったいどこの「ド田舎」だろうという感じだけれども、このあたりにはところどころ、こうやって開発されていない林が残っている。ウチの近くにもあるけれども、こういう場所にはそういうスポットがあるというだけで心が休まる思いがする。
新年になって読み始めていた『地上から消えた動物』というノンフィクションを読み終えた。基本は絶滅した動物たちの、その絶滅への歴史をたどる本だけれども、やはり開発によって棲み処を追われたことが絶滅の要因になった動物たちも多い。悲しい思いで読み終えた本だった。
もうず~っと前から、ニェネントくんに邪魔されながら寝るときに少しずつ読み進めていた、ブライアン・ボイドの『ナボコフ伝』の、その上巻もようやっと読み終えた。まだ下巻が残っているのだが、先日買った『世界動物発見史』を先に読みたい。この『世界動物発見史』はかなり分厚いので、通勤電車の中で読むには適していないのだ。
夕方に、東のショッピングセンターに買い物に出かけた。いちばんの目的は、先日なくて苦労した「缶切り」を買うことである。それと、そろそろ余白のなくなった「金銭出納帳」も買おう。12月分の支出も計算してあるのだけれども、そのあたりの<分析>はまた明日か明後日にでも書こう。
しかし、退院したあと、「Stay Home」に突入した5月のはじめからつけ始めた「金銭出納帳」、こうやって8ヶ月休まずにつけつづけてきたわけだ。まあこの日記だって、実のところ11年ぐらいにわたって一日も欠かさず書きつづけてきているわけではあるし(その前も断続的に数年書きつづけていたわけだが)、「わたしってけっこうマメだよなあ」とは感心したりする。こういうマメさを、もうちょっと別の方向に向けてもいいとは思うのだが。
買い物でショッピングセンターへと歩いていると、西の空が夕暮れですごいことになっていた。まるで遠方で大きな災厄が起こっているのを眺めているような気分になった。
もちろん今、日本は「COVID-19禍」という大きな災厄に襲われているわけだけれども、今日も東京での新規感染者数は2392人になった。こうやって「新規感染者」として数が出るのは、だいたい2週間前の感染者だというから、それは去年のクリスマスの頃の結果が今出ているのだとみていいのかもしれない。
だいたいこの2週間ぐらい前の時期、政府は「Go To トラベル」の一時停止を決めたものの、その停止時期は12月28日から1月11日としていたわけで、「じゃあその停止前にやっておこう」という「駆け込みトラベル」はまだまだ盛んだった時期。わたしなどが「これはヤバい!」と思った、感じたのは大晦日に新規感染者が1300人を超えたときで、多くの人たちも「これは要注意」と思ったことだろう。そのあと、新年を迎えて皆も「気をつけなきゃ」とは思ったかもしれないけれども、「初詣」はあるし「新年会」はあるしで、もしも新規感染者数がマイナスに転じるとすれば、それは昨日(じっさいの発令は今日から)の「緊急事態宣言」から2週間ぐらい後のことになるのではないかと思う(仮に「緊急事態宣言」発令に効果があればの話だが)。それまではおそらく、新規感染者数が減少することはないだろうと思う。
わたしもよく知っている、今までは毎回観に行っていたダンス・カンパニーも、この9日から東京公演の予定があったのだけれども、やはり「中止」ということになったようだ。
わたしが思うのは、こういう演劇やダンスの「舞台活動」が「COVID-19禍」で公演中止に追い込まれたときには、それだけ大きな「損失」を負うわけではあるし、国はこうやって中止に追い込まれた活動に対しても「補償制度」を設けるべきではないだろうか、ということである。
昨日読んだ政府の「緊急事態宣言」では、飲食店に対してのアバウトな、ある程度の「補償」はなされるようだけれども、民間の劇場、ダンス・スポットなどへの「補償」はなされないようだ。まあ昨年のスカ首相の「日本学術会議」への態度からも、今の日本は「学問・芸術」へのサポートということをやる意志は持たないようだ。
その背後には、先鋭的な「学問・芸術」というものは皆、「左翼」的な「反日」姿勢を持つものではないかという攻撃姿勢があり、これは2年前の「あいちトリエンナーレ」でもあらわになった問題ではあると思う。悲しいのは、こういった国の反動的姿勢を擁護する声がSNS上にはあふれていることで、それがじっさいの数としては国民の声の数パーセントだとしても、そういった人たちのあまりに活発な「ネット活動」によって、SNS上ではそういう声が「大多数」となってしまっている現状がある。
ここで「イヤだな」と思うのは、例えば新しくスマホを入手して、「ではSNSでもみてみよう」とした無防備な人たちが、そんな反動的姿勢の書き込みばかりをみて、「そうか、コレが今の日本の人たちの考えなのか」とばかりに、そんな意見に同調してしまうことである。
いくらかでも読書経験があり、「社会学」などについて最低限のリテラシーを持つ人らは「何をバカな」とは思うだろうが、そうでなければ(話は飛ぶけれども)例えばネットで「南京大虐殺などなかった」と読めば、「そうか、そうなのか!」と同調してしまうのである。
こういう「検証能力」のない人たちの危うさは、例えば今のアメリカのトランプ現大統領の「狂気」にも同調し、この日本の東京で、「トランプ支持!」のデモを行うというあきれた行為にもなるのだけれども、こういう話を書くとどこまでも長くなるので、とりあえず今日はここまでで。今日の最後に言っておきたいのは、「<検証能力>を身につけよう」ということ。そのためにはいろいろな本(ちゃんとした古典)を読むことだと思う。