朝起きたらすでに台風はどこかに消えてしまっていて、窓の外は明るい陽の光にあふれていた。「これは今日は暑くなるな」という予感。
空には雲ひとつ見えず、昼に近くなるにつれてやはり気温が上がってきた。エアコンをつけ、まだ午前中だというに缶ビールを開けて飲むのだ。「こんなにいい天気なのに部屋でゴロゴロしていていいのだろうか?」とも思い、外に出かけようかという気分になる。この3連休も今日で中日(なかび)となり、あとは明日だけ。何か3連休らしいことをしたいではないか。しかしだいたいのお買い物は昨日すませているし、明日は明日で「ふるさと公園」の方に歩いて、その向こうのドラッグストアで買い物をしようかという<計画>はある。
実はとなり駅の映画館で、スパイク・リーの監督でデイヴィッド・バーンの出演した『アメリカン・ユートピア』がまだ今週いっぱいまで上映されていることがわかり、「コレを観に行こうか」との計画を立てる。上映は午後6時からの1回だけなので、ちょっと時間調整がめんどうだが。
しばらく前までは、「もう映画を観たり展覧会に行ったりするのは当分先のことだな」などと思っていたのだけれども、このところCOVID-19の新規感染者数も「劇的」と言いたくなるほどに減少し、これは単にPCR検査数を少なくして感染者数を抑えているというわけでもなさそうで、やはり「ワクチン接種」の効果が出てきているのではないかとも言われている。
わたしもいつまでも<非常事態>気分で引きこもっているのではなく、ちゃんとした感染予防をしていればもう、もうちょっと積極的に外に出て行っていいのではないかと思うようになった(けっこう外圧に流されやすい)。別に「野外フェスティヴァル」に行くわけではなし、気分的に「書を捨てよ!街に出よう!」ということでもいいのではないかと思う。
しかし今、「ワクチンの3度目の接種」という声も大きくなってきている。ワクチン接種によって生まれる抗体は徐々に減少はするし、今猛威を振るっているらしいデルタ株に対しては、今のワクチンも効力がないともいう。いわゆる「ブレイクスルー感染」のことも伝え聞き、2回目接種から8ヶ月経過を目安に、3回目接種も考えられているという。
それってなんだか、世界が「ワクチンホリック」に陥ってしまうようで、一方で「反ワクチン」という動きが大きくなるのも理解できる。ただ、今の「反ワクチン」を訴える人たちはどうも「COVID-19なんてただの風邪」、「マスクなど無意味」という動きと連動している雰囲気もあり、そこでおそらくは今の「現実」からは遊離しているだろうと思う。
わたしは現実に「COVID-19」に感染する怖れというのはあると思うし、外に「マスクなし」で出かけようとは思わない(ま、わたしの場合は「容貌コンプレックス」もあり、マスクとかで顔を隠せることを「ありがたい」と思う面もあるけれども)。
とにかくはわたしには、何度も言うけれども、わたしにはニェネントとの暮らしを守る責任がある。そのためには何をすべきか、ということがわたしの行動を決めることだろう。
昨日、Amazonに注文してあった、ナボコフの『ロシア文学講義』が届いた。ほぼ30年前に出た単行本のかたちのモノで、ずいぶんと安かったのだが、届いてみたら本の外カバーはついていなかった。
そんなことは読む上ではどうでもいいことで、とにかくは今出ている文庫版の四分の一ぐらいの価格で買えたのだから「善し」である。
これでナボコフの著作でウチにないのは初期の『マーシェンカ』と『ディフェンス』ぐらいのものになった(どちらも複数回読んではいるが)。
しかし、このところなんだかんだといつの間にか本をあれこれ買っていて、それはもう図書館を利用することはやめてしまって、「読みたい本は全部買う!」という方針になってしまったゆえのことでもあるけれども、やはり本棚だとか室内だとか、「本」であふれてしまうことにはなって来ている。
いろいろと、最近買って読んだ本でも、「もうこの本を繰り返して読むことはないだろう」という本もあれこれとあり、処分してしまいたいと思う。となり駅にはちゃんとした古書店があるのを発見もしたので、そのうちに持って行きたいと思っている。
「本を売る」というのは、その見返りとして金を得れるということだけではなく、「わたしはこの本はもういいけれども、この本に価値を見出す人は世間にまだいるはずだ」という思いから、そういう人たちに処分した本が届くようにしたいからではある。そういう古本屋に持ち込んで、「この本は引き取れませんね」と言われれば、「そうか、そうなのか」と思うだけである。はっきり言って、そういう本は捨てることになるだろうか。
朝には「夕方には映画(『アメリカン・ユートピア』)を観に行こうか?」とは思っていたのだけれども、けっきょく出かけることもなくこの日は過ぎて行く。せっかくの「台風一過」の晴天だったというに、一歩も外に出ないでいたのだった。