- 発売日: 2020/08/05
- メディア: Blu-ray
出演はほぼ、夫婦役のウィレム・デフォーとシャルロット・ゲンズブールのふたりきり(すぐ死んでしまう夫婦の息子も出てくるが)。
冒頭、セックスに夢中になっていた夫婦は窓辺で遊んでいた息子に気付かず、息子は窓から転落死してしまう。その罪悪感から心神喪失してしまう妻に対し、夫は「セラピスト」として彼女を救おうとする。夫自身も「当事者」であるところから、それは「最良」のセラピストとも「最悪」のセラピストともいえるのではないだろうか?
「畏れ」に囚われた妻は「エデン」へ行きたいと夫(セラピスト)に言うのだが、それはふたりにとって「大きな試練」とはなるだろう。
まず、「映像の力」にあふれた作品だと思った。この作品の前に「GYAO!」で観た映画について、わたしは「これでは<ラジオドラマ>ではないか」との感想を持ったのだけれども、ここにはまさに「映画」がある。わたしはまずはそのことに感動する。特に、妻が「エデン」へ行きたいと語り、イメージの中で緑あふれるその「エデン」の中を歩む映像は、わたしはさいしょ「これはアニメーションなのではないか」と思ったのだが、そのゆっくりした時の流れと共に、わたしには「とてつもなく<美しい映像>」と思えた。
「エデン」は、ふたりの「救いの地」ではなかった。妻の抱く「畏れ」はどのような構造なのかを探る夫。その下位には「狐」「鴉」「鹿」の「三人の乞食」が存在し(この存在はのちに夫を苦しめるだろう)、最上位には「Daemon」が鎮座していることが想像される。
ここで「エデン」の小屋の屋根裏部屋で、妻が研究していた「Gynocide」に関する文献資料、妻の日記などが夫に発見されることになる。「アンチクライスト」のタイトルは、このあたりから始まっているのだろう。
妻の思考、思惟の道筋はわかった。それは「息子の死」の以前から、彼女に内包されていたものだろう。
では、この「夫」はどうなのか。単に妻を治癒させるための存在でいることはできないだろう。そこで「妻」の反逆も始まるだろう。
さいごに夫は生き残るわけだが、果たして彼は「エデン」の森で何を見たのだろう。何を体験したのだろう。
はっきりいって、ここには脚本・監督のラース・フォン・トリアーの「ひとりよがり」もあるのではないかとは思う(というか、わたしにはラース・フォン・トリアーがじっさいに考えていたことを正確には理解できない)。しかし、「映像」を介してのこの「映画」の力はすばらしいものがあり、記憶するに値するものだと思った。
わたしはここでのウィレム・デフォーの演技はとてつもなく素晴らしいものと眼に映り、いつまでも記憶しておきたいものだと思うのだった。