ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-12-03(Thu)

 昨日、買い物から帰ったあとからは外は雨になったようで、気温も上がらずに寒い夜になった。今朝はもう雨もやんでいるかと思ったが、外に出ると細かい雨は降りつづいていたようだった。

 先週あたりからどうも頭がぼんやりしていて(いつものこと?)、読書もはかどらないしあまりものごとを集中して考えられない(いつものこと?)。「いつまでもこれではいけない」と、夕方から「GYAO!」の無料配信映画で『彼女がその名を知らない鳥たち』という映画を観た。感想はあとで書こう。

 ニェネントが、このところリヴィングの「そこに上がったらダメ!」というところによじのぼる。「やめてほしいな」とは思うのだが、やめさせるのはなかなかにむずかしい。しっぽをピン!と立てて、けっこうゴキゲンなのだろう。

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 夕食には昨日の「鶏肉の照り焼き」のやり直しで、ちょっと工夫してみたつもりなのだけれども、見た目も味も、昨日とほとんど同じになってしまった。

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 ネットを見ていると、Nike(ナイキ)がそのPR動画で「日本での人種差別」としてチョゴリを着た女性への差別を描いたところ、大きな批判を浴びているということだった。
 わたしもそのPR動画を観て、それを批判する意見を読んでみたのだけれども、そのような批判をしているのはいわゆる「ネトウヨ」諸氏で、まさにそのような在日の人たちを差別する活動をつづけているような人たちなのだ。彼らがこのNikeのCMに対して言うのは、「日本には人種差別はない」ということであり、「Nike反日企業だからもう買わない」、「Nikeは中国のウィグル弾圧に加担しているではないか」などというものだった。これはどういうことなんだろうか。
 彼らは「在特会」などと共に行動したり支援したりしながら、それでもなお自らがリードする「人種差別」は日本にはないという。彼らに言わせると、「理由がある<差別>は許させるのだ」ということらしい。誰でも、普通の思考能力があれば、ある人種、ある民族がその所属ゆえに差別されてはならないとは思うわけだ。「理由がある<差別>は許される」というめちゃくちゃな理論から言っても、それがチョゴリを着ている人物を攻撃することにどうして結びつくのだろうか。そんなことを言い出せば、「日中戦争」を遂行した日本人らの後裔であるわたしたちはすべて、アジア諸国から今でもその出自ゆえに<差別>されるのではないのか(今の日本人が中国人や韓国人を差別するよりも、そっちの方が「まっとう」なことにも思えるのだが)。

 わたしはこういう<差別>は、歴史を学ばない<無知>ゆえの情けない反応だと思うのだが、インターネット上にはそういう<無知>ゆえの意見が散見される。そのような人たちに共通するのは、「今の日本は世界でも模範的なすばらしい国ではないか」というナルシシズムでもある。
 ちょっと前にも、「ヤフーニュース」の上で「日本はG7の国の中でももっとも<民主主義>的国家である」とのコメントを読み、「ズッコケる」というか、それ以上に恐ろしい思いをしたこともあった。いったい、そういう人たちの考える<民主主義>とはどういうものなのだろう?
 今のアメリカ大統領選挙の経緯でも、「バイデンが大統領になると民主主義が壊されて独裁国家になる」という意見も読んだ。「バイデンが大統領になるとアメリカは共産化され、中国の世界制覇が完成する」とも。

 今日、そういう「NikeのPR映像」絡みでそういう「ネトウヨ」の方々(敬意を払って「方々」で、)を分析されたコラムを読み、そのコラムではそういう「ネトウヨ」の方々は「知性も教養もある」と書かれていたのだけれども、わたしはそうは思わないな。まあ「ネトウヨ」をリードするような一部の人物らはそういう知性も教養もあった上で扇動しているのかもしれないけれども、それで動かされてSNSとかに投稿をつづける「弱小ネトウヨ」諸氏は、知性も教養もない。
 この実例はいくらでも列挙できるが、昨年の「あいちトリエンナーレ」での「表現の不自由展」に絡んで、「今まで毎年(←この「毎年」を強調!)<あいちトリエンナーレ>を観てきたけれども、もう観に行かない」という発言とか、「コロナ渦」だとか「微用工」だとかの、日本語の基本すら理解していないエラーをみていると、「こいつら、バカじゃん!」と思わざるを得ないところがある。

 前に読んだ象徴的なそんな「ネトウヨ」氏の発言で、「本当のことは学校でも教えないし、本にも書かれていない。でも、ネットには本当のことが書かれているのだ!」というのがあった。
 こういうのは先に、「自分はこうだと思うのだけれども」という思い込みがあって、それは学校でも文献でも肯定されていない。でも、ネットにはそれを肯定するサイトがあるではないか!ということだろう。例えば「南京大虐殺」について、どちらを向いても「そういうことがあったよ、日本人はそういうことをやったのだ」という資料ばかりなのだけれども、ネットで「南京大虐殺はなかった!」と検索するとヒットするサイトがあるわけだ。それが「文献的な裏付け」があろうとなかろうと、そんなことに頓着するような読み方をしないわけだから、「オレはこうではないかと考える」というのがあり、それをインターネットで検索すると「ほら、やっぱりそうじゃないか!」と納得するわけだろう。「検証作業」などということをやるわけもない。それが連中の思考法ではないかと思う。

 それで、今のスカ政権、自民党らはそんな「ネトウヨ」の動向をまちがいなくフォローしているだろうし、リードし、コントロールしようともしていることだろう。おそらく今の実数としての「ネトウヨ」なんて、全体の数パーセントぐらいのものだろうとは思うが、今「ネトウヨ」の思考はだんだんに日本人の思考を侵食しているのではないだろうか。「どれ、ネットでも見てみようか」という人が新しくあらわれて、SNSとかにアクセスすると、まあ「ネトウヨ」諸氏は一日中ケータイとかPCにへばりついてコメントを発信しつづけているわけだから、そういうのを真っ先に目にしてしまう。そうすると、「判断力」がなければ「そうか、そうなのか!」となってしまうだろう。恐ろしいことである(スカ政権は、そういうことを「ありがたいことである」と考えていることだろう)。
 しかし、そんな「ネトウヨ」連中はその頭の中に、どんな未来像を描いているのだろうか?