ラストに映る「鳥たち」が、その「彼女がその名を知らない鳥たち」なのだったら、その鳥の名は「ムクドリ」だな(I think)。
まずいちばんに言いたいのは、この映画はこれでは「ラジオドラマ」じゃないかと思う。絵なんかいらないというか、付け足し程度のものでしかない。
「映画」がなぜ「映画」として成立するかというと、もちろん「そこに<絵>があるから」だと思う。その<絵>が不要であれば、それは「ラジオドラマ」なのではないのか。
もちろん、この映画は「派手なクライマックス」などというもののない作品ではあるけれども、やろうと思えば印象的な<絵>というのはつくれるものだろう。それをラストの阿部サダヲと蒼井優とのシーンに求めてもいいのだろうけれども、「そこでスローモーションやりますか!」という最悪の絵作りをやってみせてくれる。
「ドラマ」として観て、「愛を得られない男」の哀しい物語というところもあるのだろうけれども、それが一方の主題である「サスペンス」というか「ミステリー」と調和しているかどうか。そういう、「サスペンス」「ミステリー」構造を後回しにしたことと、「男の哀しい物語」をいちばん最後にしたこととの整合性というのか、演出は「‥‥実は!」ということだけで引きずってしまった感がある。
特にラストで、やはり阿部サダヲと蒼井優との「演技バトル」的な見せ方にはなると思うのだけれども、どうしても「演劇的(舞台的)」演技で突き進んでしまう阿部サダヲと、「映画の世界」の中での演技を突き詰める蒼井優との演技の差異があまりにも大きく、それは「やはり蒼井優がうまいね」とかいうことではなく、まさにこういうところでこそ、「映画監督」という存在は「何か」をやらなくっちゃならないのだと思う。
そういうところで、「役者にやらせっぱなし」のつまらない作品ではないかと思う。ちょっと観ていて腹が立ったのです。なまいきなことを言えば、もっと、「映画とは何か」ということを見せていただきたかった。