- 作者:ウラジーミル・ナボコフ
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1951年に刊行された、ナボコフ一家がアメリカに渡航するまでの回想録なのだけれども、一冊の本としてまとめられる前に、全十五章はそれぞれ単独で、主に「ニューヨーカー」などの雑誌に掲載されているし、第五章は『マドモアゼル・O』というタイトルで、独立して彼の短篇全集にも収められていたりもする。
この「自伝」は、ロシア革命前のペテルブルグや別荘地でのナボコフ一家の裕福な生活からの自己形成の記憶、そして革命以後のロシア脱出の体験の話に二分されるかと思う。
それで特にナボコフの幼少期~少年期の記憶の記述からは、それがあまりに先日読んだW・H・ハドソンの『はるかな国 とおい昔』を想起させられるというか、ほとんど「相似形」でもあることにおどろいてしまった。
ハドソンはその幼年期をアルゼンチンの「パンパ」と呼ばれる地域で育ち、その豊かな自然の中で自分の感受性を育て、のちにその体験から「博物学者」と呼ばれる存在になり、「作家」にもなるわけだけれども、そんな彼の体験した「パンパ」の描写は、まずはあまりにここでのナボコフの「体験」を思わせる記述ではあるし、皆が知っているように、ナボコフは「作家」であると共に、この少年期の体験から鱗翅目の昆虫学者にもなったわけである。そして何より、ハドソンが教わった何人もの変人的な「家庭教師」らの(読んで面白い)記述、描写はそのまま、ナボコフが教わった家庭教師像につながってしまう。これはあまりに似通っているというか、「この時代の(まあハドソンの方が数十年昔なのだけれども)世界の<家庭教師>というのは、み~んなこんな感じだったのだろうか!」とまで思ってしまう。
そして、ナボコフの場合は、ここでボルシェビキ革命から逃れての「亡命」の過酷さを知ることもできる。時にナボコフのことを「没落亡命貴族」などとする記述に出会うこともあるのだけれども、そのような呼称が誤謬を呼ぶだろうことは、この自伝を読めば了解できるところだし、ナボコフもこの自伝を書くにあたってそのようなイメージを払拭することに腐心していることも読み取れる。
「初恋」と言っていいだろう女性との出会いや、何人かの女性との交流も書かれているのだけれども、ここではなぜか、終身の伴侶であったヴェーラ夫人との出会い、交際については一行も書かれていないのだった。まあ書かなかった理由もわかる気もするけれども。
しかしナボコフにはやはり、修辞の巧みさという必殺技があり、特にこのような小説作品ではない「状況説明」こそに力が注がれるような作品では、もうその魅力全開ではあるし、小説の中でときに感じるように「鼻につく」ということもない。これは特に最終章(第十五章)での、美しい散文詩のような文章では、小説では知ることのできないナボコフの「詩人」としての魅力に触れる思いもするし、大津栄一郎氏の翻訳も、その言葉の美しさを日本語に見事に移植しているのではないかと思う。とにかくは読み惚れてしまう文章なのだ。