ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ナボコフ伝 ロシア時代』ブライアン・ボイド:著 諫早勇一:訳

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(Amazonで検索するとこの下巻は探し出すことが出来ず、もはや「入手困難」になっている気配ではある?)

 著者のブライアン・ボイドはウラジーミル・ナボコフの研究の第一人者ではあるけれども、それはナボコフ没後、ナボコフ未亡人のヴェーラの全面的な協力を得てナボコフアーカイブを作成したことから始まり、その後やはりヴェーラ未亡人、そして息子のドミトリイの協力を得て、この大部の『ナボコフ伝』(1990~1991)を上梓する。この書でナボコフ研究者としての地位は決定的になったのではないかと思う。
 日本で翻訳されたのはその伝記のうち「ロシア時代」の部分だけで、残念ながら続く「アメリカ時代」は翻訳されていない。何ということだ。出版したのは「みすず書房」だから、そこまでに「売れた・売れなかった」ということは出版事情に影響しないだろうにとは思うのだが。この「ロシア時代」を読んでしまって、つづく「アメリカ時代」を読まずにすませることは「苦痛」なのだが。
 このあとブライアン・ボイドは1999年にナボコフの『淡い焔』に関する研究書を出し、それはかなりのセンセーショナルな受け入れ方をされたともいう。

 この「伝記」~「評伝」は、ナボコフの詩作品以外のほぼすべての作品の分析にも多くのページが割かれ、そのことがこの評伝に独特の色彩を与えていると思う。基本的にブライアン・ボイドはナボコフを「20世紀の大作家」と捉え(わたしもそう思う)、けっこうナボコフの作品に「好意的」というか、「べた褒め」に近いところも感じさせられるのだけれども、さすがに何でもかんでも褒めちぎるというわけではなく、「失敗作」だと思うものはズバリと「失敗」と断じたりはしている。

 ナボコフの幼年期~少年期に関してはナボコフ自身が書いた自伝『記憶よ、語れ』があり、そんな著作を通じてわたしも「幼き日のナボコフ」のことは知っていたのだけれども、それ以降、つまり「ロシア革命」以降のナボコフの歩み、例えばナボコフ家はどうやって革命下のロシアから脱出したのか、多くの月日を過ごしたベルリンでの生活はどうだったのか、最終的にどうやってアメリカに渡ることになったのか、などということはほぼ知ることもなかったので、ナボコフの書いた作品の背景としても興味深く読んだ。
 特にロシア革命下のロシア国内の状況については、これがナボコフの「伝記」だということを離れ、「内部から見たロシア革命」として貴重な知識を得ることができたと思う。

 ここで、ブライアン・ボイドが(短編作品を除いて)この時代の作品で「傑作」とするのは『ディフェンス』、そして『賜物』で、特に『賜物』は20世紀にロシア語で書かれた文学作品の最高傑作と位置付けている。
 この評伝、先に書いたようにナボコフの作品の分析、あらすじ紹介にもページが割かれ、それは短編作品などでわたしも内容を忘れているような作品では「その作品ってどういう作品だっけ?」と頭を悩ませる必要がなかったのはありがたかったのだけれども、ブライアン・ボイドが「大傑作」ともする『賜物』では、その内容を冒頭から順繰りに要約しながら分析して行くわけで、むむむ、これはちょっとばかし冗長すぎるというか、『ディフェンス』程度の分析に抑えられなかったのだろうかとは思ってしまうし、わたしなんかはけっこう「傑作」ではないかと思っている、ナボコフの最初の英語による長編小説『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』に関して、『賜物』くらいではなくっても、もうちょっと詳しく分析していただきたかった、とは思ったのだった。
 でもやはり、1930年代以降のナボコフ家の困窮、ヒトラーの台頭するヨーロッパの情勢などからナボコフがヨーロッパを脱出することを模索し、そのことが同時にナボコフを「英語で書くこと」へと導く過程の分析など、面白く読んだ。

 読み終えて、「伝記的な事実」で意外だったのは、ナボコフの自作の朗読会にジェイムズ・ジョイスが聴衆として来ていたということ、そのあとにじっさいにナボコフは(他の人たちといっしょに)ジョイスと会って会食もしていたらしいということだった。
 この評伝には書かれていなかったが、別の本の記述からナボコフは『ユリシーズ』に感銘を受け、自らロシア語に翻訳しようとも考えていたということだし、この本にも1930年代にナボコフチューリヒだかを訪れた際、『ユリシーズ』の本を買おうとしたことも書かれていた(本は見つからなかったらしいが)。
 ではいったい、ナボコフジョイスとじっさいに会ってどんな話をしたのか、どんなことを考えたのかとかとっても興味があったのだが、この評伝によると、ジョイスの友人がナボコフに「こういう話はしてはいけない」とか先にいろいろと耳に入れられ、話をするのが面倒になったとナボコフは後に語ったというのだが、他のナボコフの知人は「あれはナボコフがじっさいはシャイだったから、ジョイス本人を間近にして何も話を出来なかったのさ」ということを語っているらしい。これではじっさいにどうだったのか、まるでわからない。
 もしかしたらこのあたりの経緯、これから読もうと考えている『ジェイムズ・ジョイス伝』の中に書かれている可能性もある。‥‥どうだろうか?