- 作者:ナボコフ,ウラジーミル
- 発売日: 2016/10/12
- メディア: 文庫
この文庫本の帯には<「ロマンティックな青春小説」を装った“挑発的”長編! ナボコフの魔術にはまる。>と書かれていて、「いやあ~、それは当たってるなあ」と思う。
ちょうど今『ナボコフ書簡集』も手元にあって、ときどきパラパラと拾い読みするのだけれども、その中でたしか、まだ発表前のこの『偉業』について出版社から内容(要約)を知らせてほしいとの通知に対して、「この作品は要約できない」というようなことをナボコフは書いていたと記憶する。
それはわたしも読んでいる途中で感じたことで、本としては主人公のマルティンが家族と共にロシアから亡命し、ひとりイギリスに渡ってハーヴァード大学で学び、その後ベルリンへ行くというような行動の軌跡はたどれるけれども、それではどんな本だか伝えることは出来ない。普通に考えればこういう展開の本であればそれは「教養小説」であるとか、「ビルドゥングスロマン」であるとかになるのだろうけれども、この本は主人公マルティンの「成長」をたどる作品ではないといえる。
ある面で、どこまでも「挿話、挿話、挿話」の連続のようでもあり、その端々にユーモラスな描写がはさみ込まれている、などと書くと、こんどは「通俗小説なのか?」みたいな誤解を招くことになる。もちろん主人公のマルティンの「若さ」から、また彼の心的な情緒から、帯にあるように「ロマンティックな青春小説」という読み方に誘われもする。
しかし、この作品はやはりナボコフらしい、ナボコフならではの「文学作品」で、それはいってみれば、「この世界はひとりの青年の前にどのような姿をもってあらわれるだろうか?」ということというか、マルティンの周辺の人たちの描写、マルティンを取りまく自然、そして市街の描写、マルティンが乗る列車や船などから、トータルな「世界」が浮かび上がってはくる。でも、でもでも、その「世界」は、ナボコフは別に幻想的な描写をしているわけではないのに、とてもリアリスティックに書かれているとも思えるのだけれども、まるで「この世ならざる世界」に思えてしまう。
それはもちろん、ナボコフの奥深い文章からもくるものであろうけれども、まさに「ことば」だけが生み出せる「この世ならざる世界」という感覚で、それは<魔術>というのがふさわしいように思えてしまう。
この作品は<ある「風景画」の中に足を踏み入れたらどんな世界が展開するのか>とでもいうような世界ではあり、このラストでぴしっとその「円環」というのか、最後の一行ですべてが一枚の風景画の中に取り込まれてしまうような印象がある。
ここにはナボコフらしい比喩が山ほどてんこ盛りでもあるし、「詩的情緒」にあふれているという意味でも、その文学的スタートが「詩人」でもあったナボコフの、31歳での総決算ともいえるようにも思う。初期のナボコフらしくも「気まぐれ」に主人公を惑わせる女性もちゃんと登場するのだが、ナボコフのすべての長編作品の中でも、この作品はかなり異色な作品ではないだろうか。再読を、何度も何度も再読を誘われるような、魅惑的な作品だと思う。