ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『残菊物語』(1939) 村松梢風:原作 依田義賢:脚本 溝口健二:監督

残菊物語 [DVD]

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 この作品は、溝口監督の作品で戦前に撮られたもので現存する数少ないものの一本。『浪華悲歌』とか『祇園の姉妹』とか、あとわたしの大好きな『元禄忠臣蔵』とか、それなりに残ってますけど、この『残菊物語』は評価が高いです。これは「芸道モノ」というのか、ある男が芸を極めるのを陰になって支えた女性の話で、娼婦こそ出てこないけれども、やはり溝口監督らしい「女性映画」といえるのでしょう。戦後になって同じ依田義賢の脚本を使って、1956年(監督:島耕二、主演:長谷川一夫淡島千景*1)と1963年(監督:大庭秀雄、主演:市川猿之助岡田茉莉子*2)と二度リメイクされている作品。

 って、この溝口監督版は、凡百の監督がかなうような作品ではありまっせん(他の監督のは観ていませんが)。ここにはもうすでに(この撮影時に溝口監督は41歳?)、溝口監督の考える「映画とはこうだ!」という答えが出されている。それは単に、「悲恋モノ」とか「芸道モノ」とかいうストーリーの枠組みを越えたものであり、今でもこれだけの映画作品を撮れる監督はいないでしょう。
 溝口監督は、ただストーリーをつなげれば「いい映画」になるなどと考えてはいない。それは俳優の演技に要求するところは大きかったことだろうけれども(今ならば「パワハラ」的な演出の逸話が伝えられているが)、監督として「画面をどう仕切れば<映画>が成立するのか」ということを真摯に考えつめて、その結果を残した人である。

 この『残菊物語』には、そんな溝口映画の魅力がいっぱいつまっている。「破綻がない」という意味では、溝口監督の作品の中でも相当にトップクラスの出来だろうと思う*3
 この作品でのまずの「見どころ」は、カメラを低く沈めた「堀」の下からのショットで、ヒロインのお徳と菊之助との逢瀬の、菊之助がお徳に風鈴を買ってあげるまでの、なが~いながいワンシーン・ワンカット。これはもうアルフォンソ・キュアロンがデジタル処理でワンシーン・ワンカットをつくってもかなわない、「情」の世界がある(このシーンが、ラストの「船乗り込み」のシーンにもつながっている)。
 そしてこの情感が、次の室内でのふたりでスイカを食べるシーンにつながるのね。もう、このシーンのすばらしさというのはどう語ればいいのか。ただ、ここでの照明の置き方が「逆光」になっていることで、この映画ではそういう「逆光」シーンというのがあちこちで効果的に使われているわけだし、今回見直してみて、この「スイカ」のシーンが終盤に菊之助がカムバックした後、まったく同じような構図で「ご祝儀の餅」を切るシーンでふたたび出現していることがわかった。
 構図的にも、溝口監督の愛好する「縦の構図」もあれこれと使われるし、劇場の舞台裏の「上下」に連なる構図をほんとうにうまく使っている。

 あとは、この作品を毎回観るたびに思うのだけれども、ヒロインの森赫子(もりかくこ)さんのはかなげな容姿とその声、ですね。溝口監督はこの作品の中でいちども俳優のクロースアップ、バストショットなど撮らないのだけれども、それだけにそのたたずまい、その声が印象に残ることになる*4

 ま、ある意味では溝口健二監督の「ベスト」ともいっていいような、すばらしい作品ではあります。
 

*1:淡島千景はとっても好きな女優さんだったので、この『残菊物語』も観たい気はするけれども、淡島千景という女優さんはこういうキャラじゃないよな、とは思ってしまう。

*2:岡田茉莉子も好きな女優さんだけれども、やはりこの「お徳」というイメージではないな。

*3:溝口監督の作品には、「演出はめっちゃカッコいいんだけれども、それはちょっとちがうんじゃないかな?」と思わせられる「破綻」というものがけっこうある。例えばわたしの好きな『お遊さま』とかも、トータルにみると<欠点>はある

*4:この方はたしか、新藤兼人監督が撮った『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』にも出演されていたと思う