ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『その夜は忘れない』(1962)吉村公三郎:監督

 若尾文子田宮二郎との共演で、先日観た、同じ年に公開された『爛』(増村保造監督)につづいての共演になるのだが、この作品、おそらくは1959年に公開されたアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』に触発されて撮られたのではないかと推測してしまう。つまりこの作品もまた、原爆投下から時を経てもなお残る「原爆の傷」を描いたもの、ということができるだろうから。
 『二十四時間の情事』のヒロインは広島に映画のロケに訪れていて、そこで広島出身の男性と知り合うのだが、この作品の主人公は東京の週刊誌の記者の加宮(田宮二郎)で、被曝から17年になる広島を訪れ「原爆の痕跡」を取材しようとするわけで、取材の成果も得られずにその広島での夜に市街地のバーを訪れ、そこで秋子(若尾文子)と出会うわけである。偶然の出会いもありだんだんに秋子への思いをつのらせていく加宮だが、秋子はどこか加宮に心を開かないようでもある。そして加宮が東京へ帰るという前の晩、秋子は加宮に自分の体のケロイドを見せるのである。
 加宮はそれでも「わたしがあなたを守り、救うから、東京でいっしょに暮らそう」と語り、秋子も承諾はするのだが、東京に帰った加宮に秋子からの連絡は途絶え、手紙も転送されてくる。彼女の消息を求めて加宮はふたたび広島を訪れるのだが。

 この作品ですばらしいのは小原譲治という人の撮影で、特に前半の広島の市街地を車や徒歩で進んで行くときの、移動カメラがまさに「広島の街に入って行く」という感じで臨場感がある。写される広島の街並みも印象に残ったし、もちろん登場人物を捉える構図などにも非凡なものがあった。
 この「小原譲治」という方を調べてみると、戦前に五所平之助監督作品の撮影を担当され、その後黒澤明監督の『一番美しく』、溝口健二監督の『雪夫人絵図』、そして小津安二郎監督の『宗方姉妹』の撮影をされているのだった。つまり、宮川一夫と並んで黒澤監督、溝口監督、小津監督の作品を撮影されたという方なのだった。この方は1960年代で引退されてしまわれたようだが、ちょっと名前は憶えておこうと思う。なお、この方のご子息はあの小原礼なのだということ。

 映画の話の戻れば、メロドラマ的な構成と社会問題への視点はうまく融合されていたとは思う。例えば週刊誌記者の加宮が広島で、指が六本で生まれたという奇形児を探すわけで、そのことを聞いた秋子がひとこと「残酷ね」と言うことで、そういうジャーナリズムの視点への批判も含んでいたと思う。
 秋子が加宮を川辺に誘い、その河原の石を拾って加宮にそれを強く握らせると、石はもろくもボロボロと崩れてしまう。それが今も残る原爆の痕跡なのだと秋子は加宮に話すシーンがあり、これがちょっと泣けるラストシーンへとつながる。

 映画の中で加宮は秋子より年下という設定なのだろう。そういう二人の関係を示すような脚本ではあり、二人の演技ではあったと思う。ちょっとこの「年上の女性に焦がれる」という田宮二郎からは、アントニオーニの『太陽はひとりぼっち』のアラン・ドロンを思い浮かべもした。
 調べてみると、じっさいに田宮二郎若尾文子より二つ年下なのだった。

 ただこの作品でいかにも残念なのは、おそらくは「感動を盛り上げよう」としたのか、大げさな音楽が随所で鳴り響き、「このシーンには音楽は不要ではないか」と何度も思わせられてしまったこと。残念なり。