ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『爛』(1962)増村保造:監督

 原作は日本自然主義の作家の徳田秋声が1913年(大正2年)に発表した中編で、今は1911年に発表した『黴』との2作で文庫になっているみたいだ。「爛」(ただれ)、そして「黴」(かび)。何とも洗剤に漬けてジャブジャブゴシゴシ洗ってしまいたくなるタイトルだけれども、「自然主義」なもんだからしょ~がない。ま、徳田秋声の作品でいちばん知られたのは『あらくれ』ではないかと思うけれども、この『黴』と『爛』こそが徳田秋声の真骨頂、との評もあるようだ。わたしはまるっきし読んだことはないけれども。

 というわけで、明治後期を舞台にした『爛』を新藤兼人が現代を舞台に脚色し、増村保造が監督、主人公を例によって若尾文子が演じたというのがこの作品。ネットでこの作品を検索すると「文芸作品」なんて書いてあるけれども、「自然主義文学」ですからね、そういう高尚な雰囲気はないっす。

 秋声の原作は「ある男に身請けされた元遊女が狂って行く正妻との葛藤を経て、やがて自らも男の浮気に苦しめられるようになる」というようなものらしく、ここでは元遊女を元キャバレーのホステスに置き換えていて、どうやらあとは原作ストーリーを生かしているみたいだ。

 キャバレーのホステスだった増子(若尾文子)は、浅井(田宮二郎)の二号さんになっているが、浅井は「妻の柳子(藤原礼子)とは別れておまえと結婚する」と言っている。
 これで浅井は口ばっかりでなかなか正妻とは別れずにいて、ズルズルと行くような展開になるのかと思って見ていたら、浅井はしっかりと柳子との別れ話を進行させている。浅井という男、車のセールスの腕は立つようだし、意外と誠実な男なのか。
 浅井の家では浅井と柳子との諍いが絶えない。ヒステリックに騒ぎ立てる柳子から逃れて浅井は裸足で(靴を手に持って)外に飛び出すが、柳子もまた靴を履かずに浅井を追いかける。この夜のシーンは秀逸で、ヒッチコックのミステリーの一部のようでもあり、見ていると「これからヤバい事件が起きるのではないか」という気もちに囚われてしまう(そうはならないのだが)。映画全体に、階段や登場人物の立つ位置の高さの差がサスペンス気分を高めている。
 浅井は柳子と離婚し、柳子は実家で屋根裏の座敷牢のようなところに閉じ込められ、そこで浅井の名を呼び散らしながら狂い死にする。
 その頃、同居を始めた浅井と増子のところに、増子の年の離れた兄の娘の栄子(水谷良重)が、結婚話から逃れてやってきて同居するようになる。
 これも「とんでもない話」で、まさに栄子は「お邪魔虫」なのだが、栄子は浅井に興味津々だし、浅井も邪険には扱わない。いちどは結婚話のために実家に帰る栄子だが、再び浅井と増子のところへ転がり込んでくる。三人で温泉に一泊旅行に行ったとき、栄子は夜に浅井と増子の部屋を外からのぞき見する。
 増子は「子供を産める身体」になるため、しばらく入院するのだが、見舞いに来た栄子の様子がおかしいと思った増子が病院を抜け出して家に帰ってみると、浅井と栄子とがまさに寝ようとしているところだった。狂気にとりつかれたように栄子につかみかかり、叩き出す増子だが、このとき増子の姿はかつての柳子をほうふつとさせるものだった(この場面だって、そのまま増子は栄子を殺してしまうのではないかという勢いだったが)。
 栄子の結婚が決まり、式は東京で行うことになるが、栄子は浅井の勤め先に電話して来、その日二人は関係を持ってしまうのだった。
 栄子の結婚式も無事に終わり、浅井と増子は故郷へ帰る栄子らを駅で見送る。

 映画は家に帰った浅井と増子を捉えて終わるが、さてさて、これで丸く収まるものだろうか。おそらくは栄子はそれからも、夫の元を抜け出して浅井に会いに来ることだろうし、そうなると増子の精神の均衡も崩れてしまうかも。
 言ってみれば、そもそも「女好き」な浅井に大きな原因はあるだろうし、柳子から増子へ乗り換えても、このあと栄子へ行かないとも限らない。このあたり、アントニオーニ監督の『情事』の男みたいなもので、まあ「男の性(さが)」というか。

 わたしはこの映画、「どの瞬間に犯罪が起きるかわかったものじゃない」という気分で観ていたが、サスペンスフルな音楽もそんな気分を盛り立てるし、「悪女」にしか見えない栄子、そして何考えてるんだかわからない浅井、怒りにかられると狂気じみて暴力的になってしまう増子と、もう「事件」の起きるお膳立てはしっかり整っていて、そ~んな気分満載のままに映画は終わる。

 明暗の効果をしっかり引き出した撮影も秀逸だし、思わせぶりなショットも各所に挟み込まれている。先にちょっとヒッチコックのことを書いたけれども、ここで増村保造監督の絵づくりには、ヒッチコックの影響が強いのではないだろうか。わたしはそう思いながら観ていたのだが。
 書かなかったが、増子の周囲の、さまざまに男の愛人になっている女たちの姿も、映画の視野を拡げていたと思う。若尾文子の「狂乱」の演技もあるし、わたしにはけっこう、「お気に入り」の映画である。