ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

Sophie Calle「My mother, my cat, my father, in that order」@六本木・PERROTIN TOKYO

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 ‥‥心に残る展覧会だった。タイトル通りに、彼女の母、愛猫のスーリー、彼女の父それぞれの死に向き合う作品だったのだけれども、わたしはこうして、いきなりに「死」に向かう準備もないままにギャラリー内に足を踏み入れてしまった。そして、そこで「死」に向き合った。

 わたしは非情な人間だから、わたしの父や母の「死」に対しての思い込みは完璧なまでにない。「父が死んだのはいつだったか」、「母が死んだのはいつだったか」という時系列的な記憶もない。このことは書き始めるといろいろと書いてしまうから書かないが、とにかくはわたしは<非情な人間>だ。きっと、死後は地獄に落ちることだろうと思う。
 しかし、今いっしょに暮らしているニェネントの母のミイの死のことは忘れられないし、死にかけたムクドリを抱いた記憶、道ばたで死んでいたメジロのなきがらを葬った記憶は鮮明に残っている。わたしは人間の<死>より、その他の動物の<死>に、より大きく心を動かされる(これは親族関係が稀薄なわたしの<生>からも来ることだろうが)。

 この展示には、ソフィの愛猫スーリーの死が表され、生前のスーリー、そして亡くなったあとに棺(ひつぎ)におさめられたスーリーのなきがら、などの写真があった。スーリーは黒白のはちわれネコで、どうしてもニェネントを思い出させられる顔立ちだったし、やはりわたしには、ネコの死というとどうしてもニェネントのお母さんのミイの死のことが思い出されてしまう。まさかここで、アートの展示でそんなことを想起させられるとは思っていなかった。不意をつかれた感じで涙目になってしまう。

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ファビオは彼にキスをした。カミーユは彼女の曲「She Was」を彼の耳元でささやいた。フロランスは彼をなでた。アンヌは彼を眠りにつかせた。彼は死んだ。モーリスは庭に穴を掘った。私は、写真がまだなかった時代の行商人が持ち歩いていた雛形のような、小さな白いひつぎにスーリーを寝かせた。小さすぎる。後ろ足がはみ出ていた。イヴは彼を埋葬した。セレナは彼のお墓の周りに水仙を植えた。
私は電話にメッセージを受信した:ソフィ、あなたの猫についてお悔やみ申し上げます。カミーユに、もしニラネギかカブか何か野菜を見かけたら買って帰るように伝えてもらえますか?愛を込めて。

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 スーリーは男の子で、1996年10月にソフィのもとにやってきて、2014年の1月に亡くなったという。17歳まで生きた。スーリーのことはソフィの友人のローリー・アンダーソンも知っていて、ふたりは音楽でスーリーにオマージュを捧げることにしたのだが、その意志は彼女らの多くの友人らへも輪を拡げ、40人のミュージシャンがスーリーのために曲を書き、それは3枚のアナログ盤LPのかたちになる。
 ギャラリーにはそのアナログ盤カラーレコード(レーベルの部分にもちろんスーリーの写真)が展示され、その音を視聴出来るように2台のヘッドフォンが置かれていた。空いていたヘッドフォンをかぶると、ちょうどローリー・アンダーソンの曲のところで、さらに涙腺がゆるんでしまった。その次がジャーヴィス・コッカーの曲(インストゥルメンタル)で、そこまで聴いたところであまりに涙があふれすぎ、「これでは外を歩けなくなるではないか」と思い、そこで聴くのを中断して外に出た。

 もっと、平静な気もちで見れるときに、またもういちど観てみたい(聴いてみたい)展覧会。