ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

「しろいろの街の、その骨の体温を」村田沙耶香:著

 一種の「ジュブナイル」小説というのか、主人公の結佳の小学生四年生時代、そして中学二年生時代を、その結佳の一人称視点から描いた作品。バックグラウンドとして、開発途中の「ニュータウン」の風景が描かれる。
 前に読んだ「地球星人」のように、ローティーンの女の子が男の子に「セックス、しようか?」みたいな展開でもあるのだけれども、ここではもっと<現実的>に、「学校」という社会の中での<自分>の立ち位置みたいなものがリアルに描かれる。
 小学校時代はある意味無邪気に、余計なこと考えずに皆が仲良く出来ていたのが、中学になると「ピラミッド構造」というか「カースト制」というか、「はたして、全体の中で自分の位置はどこにあるのか」という意識がはたらき、そんなことにきわめて敏感なのが主人公の結佳。そういう構造を冷徹に見つめながら、そんなピラミッドからはみ出さないような生き方を選び、そういう自覚のないかつての友人や男の子たちには批判的な視点を持っている。そんな中で、小学校時代に「支配関係」みたいなものをつくってしまった伊吹という男の子との屈折した関係を続ける。伊吹のことを「おもちゃ」と呼ぶ結佳の認識が面白い。彼女の観察眼がいい。

 自分が学校の中で”上”であることを自覚している男の子は、観察のしがいがある。女の子と違って、調子に乗っていることがすごく剥き出しになっているから、見ていて興味深いのだ。
 女の子は同性の目に敏感なので、奇麗な子ほど調子に乗っていると思われないように振る舞う術を心得ている。それに、女の子は、どんなに可愛い子でも鏡を見て真剣に溜息をついているようなところがある気がする。上には上がいることも、これが永遠に続く栄光ではなくていずれ自分が老いることも、どこかで知っているのかもしれない。

 ‥‥こういう意識は、わたしであれば三十歳を過ぎるぐらいまで持たない、まったく鈍感な<男の子>だったと思うけれども、ま、調子に乗ったりはした記憶はない。この作品でヒロインの結佳はかなりそのあたりに自覚的な女の子で、そのあたりの自覚のない同級生を冷ややかな目で見ながらも、「自分がピラミッド構造のどのあたりに位置しているか」を認識し、そこからはみ出さないようにする(中よりも下だと思っている)。だから、中学になって異性からも人気を得るようになってしまった伊吹とは、その「カースト制」からはみ出さないように、微妙な距離を取り続けようとする。
 しかし、そういうことに敏感だったのは何も結佳だけのことだったわけではなく、彼女が実は見下していた信子は、その結佳の視線に気付いていて、結佳にその怒りをぶっつけたりするし、そもそもの結佳の執心の対象だった伊吹も、実はもっと大きな包容力を持った存在だったということにもなる。

 そういう、ヒロインの結佳の、「この街がきらい」という気もちと、「それはあなたの一方的な見方なのではないのか」みたいな終盤の展開、彼女の性的な目ざめ、成長(成熟)とが、実に気もち良く展開して行く。
 伊吹という存在が「出来過ぎ」だよな〜、という感想もあるけれども、わたしの中学時代がいかに「ぼけなす」だったか、ということを知らしめられたということでも、いろいろと刺激的な読書体験ではあった。