ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ブリングリング』(2013) ソフィア・コッポラ:監督・脚本

 ソフィア・コッポラ監督というと、いつもいつもガーリーな世界にこだわった作品を撮っているという印象。それで映像もいつも、そんなガーリーな世界観を支えるファッショナブルなものだっただろう。

 この『ブリングリング』は、アメリカで実際に起きた「ハイスクール生によるセレブ豪邸連続侵入・窃盗事件」の映画化。この窃盗団のほとんどが「女の子」であるから、まさにソフィア・コッポラにお似合いの作品みたいだけれども、この映画でいちばんフィーチャーされる「主人公」は、マークという男の子であった。
 マークは容姿とかの劣等感から不登校になっていて、新しいハイスクールに転校してくる。そのハイスクールはそれなりに裕福な家庭の子らが通う学校らしいが、レベルとしては「三流」の学校。まあだからこそ「勉学に励んで進学してハイ・クラスを目指す」という上昇志向からは、そもそも排除されているわけだろう。
 転校してきたマークは、一部の女生徒から「キモい」という反応を受けるけれども、レベッカというコが彼に接近してきて、ファッションの話などで仲良くなる。この映画でのマークを演じているのはイズラエル・ブルサールという俳優で、日本では知られていないがアメリカではこのあとそれなりに(主にコメディ映画などで)活躍されているらしい。決して「ブ男」ではないのだが、ちょっとその肉厚な唇とかが生々しいというか、「キモい」という反応もわからないではない。

 マークとレベッカは、キーのかけられていない車から財布を盗んだりすることから「その道」に足を踏み込み、マークがパソコンの検索能力で「あのセレブは今は自宅にいない」「その自宅はどこそこにある」という情報をつかみ、セキュリティの超甘いセレブの豪邸に侵入、いろんなファッショングッズを失敬するようになる。
 レベッカは「戦利品」を学友に見せびらかしたりするわけで、「わたしも仲間になりたい!」というニッキーやクロエなども仲間になる。
 マークには自分たちの行動が「ヤバい」という自覚はあり、皆の行動に可能な限りブレーキをかけようとはする。
 しかし、彼女らの大胆な(無計画な、アホな)犯罪が露見しないはずもなく、全員が警察に逮捕されることになる。

 ここまでの展開は、そんなセレブリティらの豪邸と家にあふれるファッション・グッズの中にはまり込んだ女の子たちの、「あこがれの世界」に足を踏み入れた狂喜のさまというところだけれども、けっこうソフィア・コッポラの演出は抑制されていて、そこまでに「狂乱」を描くというのでもなく、クラブに入り浸りパーティーピープル化した彼女たちのさまを撮りながらも、それはガーリーらの風俗描写として「とびぬけて」狂っているわけでもない。
 キャッチーな音楽をバックに、そんな「ブリングリング」の一団が街頭を歩くシーンをスローモーションで捉えたシーンがあったが、「それって、『レザボアドッグス』じゃん!」という感じでもあった。

 けっきょく、逮捕収監されたあとの連中は、マークだけは反省の色を見せ、「選ぶ友だちをまちがえた」みたいなことを言い、収監のバスに他の犯罪者といっしょに乗る描写はあるのだが、他の女性たちはまるで懲りていないというか、反省の色はない。マークもフェイスブックで800人の友達リクエストが来て、そのすべてを承認したと語っていたが、それはきっと他の女性たちにしても同じようなことだっただろう。
 事件のあと、収監期間をすぎて釈放された彼女たちのところにインタビュアーも来るのだけれども、そのインタビューを自己宣伝の機会として将来の自分の夢を語ったりするのはおかしい。おそらく彼女らは「セレブたちだって散々スキャンダルとか起こして、自分と大して変わるわけじゃないではないか」とでも考えているようではある。

 ある意味、彼女たちはじっさいに「あこがれていたセレブの一員になれた」という気分でいて、逮捕されたことは「それはそれでマイナスではない」、「マイナスにはしない」という決意でもあるかのようである。そしてそのことこそ、ソフィア・コッポラがこの作品で描こうとした「ガーリーな世界」ではなかったかと思う。