う~ん、普通こういうストーリーでの映画演出って、ぜったいうまく行かないように思えるのだけれども、なぜかすんなりと90分の映画に収まってしまっている。
だいたいそもそもが、12歳の少年と少女とが示し合わせて落ち合い、駆け落ちするという大きなテーマで進行する映画だけれども、想像するような「ファンタジー映画」とはひと味もふた味も異なり、意外とディープなところまで踏み込みながら、そういう「ヤバさ」をスラっとすり抜けながら、収まるところに収まるという作品。
男の子のサムは実のところ「孤児」で、ボーイスカウトから駆け落ちのために逃走したとき、ボーイスカウトの隊長(エドワード・ノートン)はサムの家に電話を入れる。ところがサムを養育する親は「あの子のことは持て余してるから、もうウチでは引き取らない!」という。それで福祉局に連絡し、福祉局員(ティルダ・スウィントン)が来ることになる。
一方の女の子のスージー(カーラ・ヘイワード)には4人の弟がいて、親はビル・マーレイとフランシス・マクドーマンド。母親のフランシスは、事件を担当する警部のブルース・ウィリスと不倫している。
エドワード・ノートンはボーイスカウト隊員と犬のスヌーピーにサムの捜索にあたらせる。しかし2人を発見した隊員の1人をスージーははさみで刺すし、隊員の射た弓はスヌーピーに当たってスヌーピーは死んでしまう。何という展開なのだろう!
しかしいつしかボーイスカウト隊員たちはサムとスージーを応援するようになり、孤児だとわかったサムが福祉局に連れて行かれると「電気ショック療法」とか残酷な治療をやられてしまうと、いちどは捕まった2人を逃がしてやったりするのだ。時を同じくして大きなハリケーンが現地を襲い、激しい雷雨の中でふたたび追跡劇になる。
これがウェス・アンダーソンの演出なものだから、まるでリアリティがないというか、奇怪なファンタジー的な展開になる。映画の美術も色彩設計も、カメラワークも「ウェス・アンダーソンでしかない」という独特のものだし、それは「駆け落ち」のためにスージーが持って来た何冊もの彼女の愛読書(架空の本である)を映画化したのではないのかと思えるほどだ。
いちど捕まったサムが、警部のブルース・ウィリスと食事をとり、そこで警部がサムに「ビール、飲むか?」と勧めるあたり、「子供向け映画」ではないのだけれども、ほのぼのと暖かい気もちになれるだろうか。ネタバレしてしまえば、すべてが解決したとき、ブルース・ウィリスはサムを自分の養子に迎えるのだ。
ティルダ・スウィントンはここではまさに、サムに「電気ショック療法」もかけそうな、魔女のようなキャラクターとして登場し、わたしのような観客を満足させてくれる。
スージーを演じたカーラ・ヘイワードという子は面白いなあと思って観ていたが、このコ、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』で、バスの中でイタリアのアナーキストへのシンパシーを語る女の子の役で出演していたのだった。そのコ、しっかり記憶しているよ。あと、わたしの好きな映画『マンチェスター・バイ・ザ・シー』にも出演していたらしい。これからクセのある「個性派」として、もっと活躍しそうな気がする。
この映画に関しては書きたいことがいっぱいあって、いくら書いても書き足りない、書き忘れている大事なことがいっぱいある、という気がしてならないのだけれども、とりあえずはこのくらいにしておきましょう。
ウェス・アンダーソン監督も、この作品のあとは『グランド・ブタペスト・ホテル』、そして『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ』と、彼独自の絵本のような映画を撮り続けておられるわけだけれども、今年は「Asteroid City」という新作が待ち構えているらしい。楽しみだ。