ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-02-20(Wed)

 昨日の朝は空がすっかり曇っていて、一昨日みた大きな明るい月をみることは出来なかったけれども、今朝家を出るとすぐに、向かいの家の屋根の上に明るい月が輝いているのがみえた。雲がうすくかかっていて、その方がケータイのチープなカメラ機能ではしっかりと撮れる。

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 駅までの道はずっと、そのわたしの進む道の上で、月が道案内してくれた。

 仕事を終えての帰り、駅のそばの工事中の空き地の、わたしのすぐそばでムクドリがちょん、ちょんと地面のエサをついばんでいた。ムクドリは、好きな鳥だ。たくさん集まって電線や木立の枝を埋め尽くし、ギャーギャーとなくムクドリはさすがに避けたいが、一羽、二羽とか少ない数で地面に降りてエサをついばんでいる姿をみると、いとおしく感じる。黄色いくちばしがかわいいし、その顔も愛くるしいと思う。目にする機会のある野鳥の中では、ムクドリがいちばん好きだ。
 それに、ムクドリというと小さいころに読んだ童話の「むくどりのゆめ」のことを思い出してしまい、「ムクドリも夢をみるだろうか」とか思うと、その童話のあらすじ(あまりはっきり憶えていないのだが)が頭の中にひろがってしまい、ついつい涙目になってしまう。
 わたしの記憶はあいまいなのだけれども、小さいころ、その童話を読むよりよほど前に、わたしの家ではちょっとの間ムクドリを飼おうとしていたような記憶がある。竹でつくられた鳥かごがウチにあった記憶はけっこう確かなもので、そこでその鳥かごの中にいた鳥は何かと考えると、それは「ムクドリ」でしかなかったように思う。
 鳥かごの中にムクドリがいたという確かな映像的記憶はまるで残っていないのだけれども、あまり長い間は飼育していなかったのだろう。ただ、鳥のいない空っぽの鳥かごの思い出だけが残っている。

 夕方から買い物に出かけ、スーパーの「m」に行った。牛肉のストックがあまりないので、思い切って牛肉ブロックの大きいのを買ってしまおうとショッピングカートに入れ(30パーセント引きになっていたし)、レジ前に並ぼうとしたとき、「あれ? 財布持ってきたっけ?」とポケットをたしかめたら、しっかり忘れてきていた。ほとんど「サザエさん」状態だ。買おうとした品物を棚に戻し、「これで帰宅して財布を持って出直しても、もう牛肉も誰かに買われてしまっていることだろう」と思い、この日の買い物は<中止>ということに。

 今日からは多和田葉子の「献灯使」を読み始めた。面白いのだが、最近読んだ「日本文学盛衰史」や「しろいろの街の、」みたいにどんどん先を読みたくて読み進めるというのではなく、「ここらでちょっとひと休み」みたいにして読み進める感じ。