ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-01-12(Fri)

 ちょっと昨日のことをつづけて書く。
 昨夜、寝る前にも『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』を読んでいたせいで、その本の内容にかかわる夢をみた。朝目覚めたときには夢の内容をしっかり記憶していたのに、今こうやって日記を書こうとするともう、その夢のことは思い出せないのだった。

 昨日、クリニックの帰りに駅前のスーパーに立ち寄ったのだけれども、店頭にはまた、葉っぱのいっぱいついたダイコンがいっぱい売られていた。先日料理したダイコンの葉がとっても美味しかったのでまた買いたくなってしまったのだが、今は「本体」のダイコンの方を、持てあましてしまうことだろう。また本体のダイコンを食べたくなって、その時も「葉付きのダイコン」が売られていたら喜んで買おう。
 この季節、今は白菜がとっても安くって、ひと玉百円とかで売られていて「安いなあ」と思うのだが、「安いから」と買ってしまうと、その白菜のための献立をいろいろと考えなくってはならない。今はキッチンにキャベツがほとんど丸ごと残っていて、「どうしてくれようか」と悩んでいるところでもあるし。そのキャベツがなくなったら、次は白菜を買ってやろうか。
 今のわが家では、じゃがいもの消費量が伸びている。一時期はじゃがいもなどまったく食べないでいて、キッチンの隅に置かれていたじゃがいももしっかり芽を伸ばしちゃっていたのだが、最近は例の「ダブリン・コデール」をつくることが多くなったし、「シチュー」にも欠かせない。先日は「おでん」にもぶっこんだし、アイルランド人のようにじゃがいもが主食になりそうないきおいだ。

 もうひとつ昨日のこと。配送が遅れていたパトリシア・ハイスミスの「日記とノートブック」が、暗くなってからようやく届いた。
 「ピンポ~ン」の音でドアを開けると、郵便局の配達の人が「重たいですよ」と大きな紙包みを渡してくれた。たしかにけっこう重たい。封を切ってみると、辞書のように分厚い本が出てきた。

     

 「大きい本」というのでは、ウチにはさまざまな画集があるから当然、そっちの方が大きいけれども、「分厚い本」というのではこの本が一番か。今ウチの本棚を見て「一番分厚い本」は、ナボコフの「全短編」だろうか。これが880ページあるけれど、今回のハイスミスの本は1000ページに1ページ足りない、999ページだ。ちょっと強烈。‥‥はたして読み切れるだろうか。
 この本、Amazonでもそれなりの価格で売られていたのだけれども、わたしは幸運にも、海外のマーケットプレイスで売られていた「中古扱い」のものを安く買えた。新品の三分の一以下の値段だったのだ。「中古」とはいっても誰かが読んだ形跡もなく、ただカヴァーが折れていたことと、ページの中ほどに波打っているところがあったぐらいだ。めっちゃ「お買い得」だった、とは思う。
 内容はタイトル通りに、彼女が生涯書きためた「日記」と「ノートブック」で、長くても20行ぐらいの文章の集積。けっこう気軽に読めそうだ(あとはわたしの英語力の問題)。
 「どれどれ」と、いちばん最初に出てくる日記、1941年1月6日(彼女はあと二週間で二十歳になる)の日記を読んでみると、こんな感じである。

「学校の最初の日。スナイダー(女性についての演劇で、わたしは男性を演じる)。ヘレンはわたしのガールフレンドだ。ロジャー・Fから手紙。彼はわたしを愛してると言っている! どう、ちょっと若すぎない? 今晩はエルウィンでの集会があった。女性の参加者は5名だけ。わたしたちは何とかしなくっちゃね。わたしは今、ASUの経理担当だ。神様、誰も見つかりませんように! 母はとっても敵対的だ。特にわたしが充分に女性的ではないからだ。」

 何だか、ごく普通の二十歳の女の子の日記みたいで、ちょっとずっこける。ASUというのはわからないけれども、学生の政治組織ではないかと思う(彼女は若い頃は共産主義に傾倒していた)。最後の行の、母との敵対関係を記憶すべきだろうか。
 こんな調子で、いつ読み終えるとかいうのではなく、せめて一日に日記一日分でも読み進められるといいと思う。

 この日は午後からはけっこう暖かい日になった。先日観た『夜の河』で山本富士子という女優さんの魅力に触れたので、この日はやはり彼女の出演している『日本橋』という映画を観た。残念ながら山本富士子の出番はそれほど多くはなかったが。
 夕食にはまた、「ダブリン・コデール」をつくったのだった。