ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『清作の妻』(1965)増村保造:監督

 原作は大正~昭和初期の作家、吉田絃二郎が1918年に発表したもので、1924年には村田実監督、浦辺粂子主演でいちど映画化されているらしい。
 本作は新藤兼人の脚本によるもので、日露戦争の時代を背景にして、ムラ社会の差別や偏見にも負けないで、戦争下の国威発揚気分に同調する人々に従わず、愛を貫いたヒロインの行動を描いた作品。若尾文子はこの作品で、「ブルーリボン主演女優賞」を受賞した。
 わたしには音楽も撮影も印象に残るものだったが、音楽は山内正という人で、増村保造の作品では『妻二人』や『陸軍中野学校』などの作品で音楽を担当している。撮影は秋野友宏という人で、増村保造監督の『「女の小箱」より 夫が見た』の撮影も担当。

 病気の父を抱える一家の生計を支えるため、隠居老人(殿山泰司)の妾となったお兼(若尾文子)だったが、やがて老人は他界し、遺産を手にしたお兼は故郷の村へ戻る。病床の父も死んでしまうが、事情を知る村人たちは彼女を「妾」と冷たく当たる。そのうちに母も死に、お兼はとなり村にいた知的障害を持つ従兄を引き取って共に暮らすようになる。
 そんな中、お兼は村一番の模範青年である清作(田村高廣)と恋に落ち、二人は周囲の反対を押し切って結婚する。二人はしばらくは村人を無視して幸福な生活を送る。
 しかし日露戦争が勃発すると清作のもとにも召集令状が届いて、清作は村人に見送られて出征するが、負傷して帰郷する。
 やがて傷も癒えた清作は軍に復帰することになるが、村人らは「今度こそ、立派にお国のために死んで来い」と言い、清作自身も戦場で果てるつもりである。
 愛する清作がいなくなることに耐えられないお兼は、清作の出征の日に、五寸釘で清作の両眼を突き刺すのである。
 村人らにリンチ同然の暴行を受けたお兼は裁判を受け、懲役2年の刑となる。
 2年が経ち、釈放されたお兼が村の家に戻ると、家には従兄と共に暮らす清作が待っていた。
 清作は「最初はお前を恨み、憎んだが、自分がめくらになり皆に卑怯者と言われると、お前の心がわかった。お前がいなかったら、俺は馬鹿な模範兵、世間体ばかりの阿呆だった」と、お兼をしかと抱きしめるのだった。

 若尾文子の演じるお兼の、いくら村人に差別されていやがらせを受けてもめげず、自分の生き方を貫く姿勢は「驚異的」とも言えるほどで、女優であればこういう、「お兼」のような役は演じてみたいのではないだろうか。
 村人の「模範」であった清作は、村の丘の上の木に「鐘」を吊るし、まさに村の模範の人間として毎朝決まった時間に鐘を鳴らし、村人に朝を告げるという生活をつづけ、お兼と結婚してからもなお鐘を鳴らすことはつづけていた。
 しかし眼をつぶされたあとしばらくして、従兄に鐘を吊るした木にまで連れて行ってもらい、その鐘を憎々しげに投げ捨てるのであった。

 この映画はまさに「反戦映画」だと思うが、戦場を描くのではなく、生き延びて帰ってくれば「卑怯者」と呼び、「国のために死んで来い」と叫ぶ村人たちの中にこそ、「自分は無傷な位置から兵士を死んで来いと戦場に送り出す」狂気があり、まさにそういった国民の意識こそが「国の戦争」を支援するものだということがあらわになるだろう。
 また、そういう要素を考えなくとも、その貧困ゆえに村人から差別され、さらに老人の妾であったことでも差別されるお兼の、なお清作への愛を貫き生き抜く姿は、感動を呼ぶだろう。まさに「戦争をするのではなく、愛し合おう」という強いメッセージがあるのではないだろうか。若尾文子の熱演もあり、素晴らしい映画だった。