ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『バンデラス ウクライナの英雄』(2018) ザザ・ブアヅェ:監督

 めんどいので、ストーリーは「Filmarks」から転載します。

2014年9月、ウクライナ東部のドネツク州。政府軍と親ロシアの分離派勢力による衝突が激化するヴェセレ村で、乗り合いバスが何者かに襲撃され多くの住民が死亡した。世間ではこの襲撃は政府軍の仕業と見る中、首謀者は村近くに駐屯する政府軍部隊に潜入しているとされるロシア人活動家ホドックと断定した軍上層部は、同村出身のアントン率いる特殊部隊を現場へ派遣した。ホドックの目的は、次の休戦会議を混乱に陥れること。そんな状況下で、空挺隊員がナイフで心臓を刺され死亡しているのが見つかり、ホドックが行動を開始したと確信したアントンたち。しかし追い打ちかけるように情勢は悪化の一途を辿り、更なる危機が住民に迫っていた…。

 これは、先日プーチンが「ルガンスク人民共和国」と共に「独立」を承認した「ドネツク民共和国」(ウクライナ名では「ドネツィク」になるという)を舞台とした、ウクライナ政府軍と親ロシアの「分離派」との闘いを描いた映画。
 主人公(ヒーロー)のアントンは、その舞台となるヴェセレ村の出身ということもあり、キエフでの妻との平穏な生活から離れ、ドネツィクの特殊部隊を率いることになる(妻も、あとからアントンを追っかけてくるのだけれども!)。ヴェセレ村の人々の多くをアントンは知っているし、その村で若い頃にある女性をめぐって「奪い合い」をやった「友だち」は、実は今は「分離派」の一員であるし、そのとき二人で競い合ったその女性も、村で健在である。村人は総じて(「乗り合いバス」の襲撃は政府軍によるものとの思いもあり)政府軍に批判的で、今の「侵攻」でも叫ばれているように、政府軍を「ファシスト」と侮蔑しているし、もちろんアントンへの風当たりもある。

 このウクライナ製作による映画は、もちろん主人公のアントンを「ヒーロー」とし、政府軍を「悪」とする村人の意識は「分離派」の策略にはめられたもの、という視点を取るのだけれども、そんな中でもそんな「親ロシア」の「分離派」の意識、思考を吐露させていることで、この紛争の背景をうかがわせてくれる。
 例えば村人は、「ウクライナが何をくれた? 刑務所と戦争と貧乏だ!」などということを語るし、「分離派」の人物の、次のような発言もある。

ウクライナ人などいない!
ベラルーシ人もバルト人もいない。
みんな同じ民族だ。ロシア人、つまりスラブ人さ。
アメリカとNATOが俺たちを引き裂いている!

 これはけっこう痛烈な呪詛で、例えこの映画が「ウクライナ」側によってつくられた映画だとはいえ、「そうか、そう言うなら<分離派>の言うことも聞いてみたい!」と思わせられるところがある。

 正直に感想を言って、この映画のひとつのモチーフになっている「分離派が乗り合いバスを襲撃し、それを政府軍のせいにする」というのは、じっさいに政府軍は民間の「乗り合いバス」みたいなのを爆破したりしてのではないのか?という気にもさせられる。映画のラストは、分離派が政府軍にみせかけて住民のいる村を砲撃するのを、ヒーローのアントンが村人に「避難」を呼びかけるわけだが、これだって実は政府軍がやっていたことをこの映画で包み隠そうとしている、とも取れてしまう。
 ここで誤解されたくないのは、「じゃあ政府軍はインチキで、分離派の考えこそ妥当性がある」などとわたしが思っているわけではないということ。
 これは「戦争」なのであり、この映画を観て「やはり<政府軍>に正義があるね!」とは思えないし、この映画の演出の「あまりのプロパガンダ臭さ」が、よけいにうさん臭く思えてしまう。
 しかし、「分離派に一理あるよね!」などというのは今げんざいロシアのプーチンが押し付けようとしていることでもある。それが「戦争」の政治的側面なのだとは思う。

 それでも、この今の時点でこの映画を観て、「ウクライナ軍だって<正義>じゃないよね!」などという認識を得ることが大切なわけはない。今、「核兵器」の使用をもチラつかせるウラジーミル・プーチンは、「存在してはならない」悪と言っていいと思う。
 ちょうど今のニュースで、日本の鳩山由紀夫(元首相)が、ウクライナのゼレンスキー大統領が「親露派住民を虐殺した」などという根拠の不確かな情報を伝え、一部の批判を浴びているが、わたしにはわからないが鳩山氏はこの2014年の「クリミア危機」の頃のことを言っているのだろうか。はたして鳩山氏がどのような<事実>をもとにしてそのような発言をしたのか、そしてその発言の意図も不明だけれども、ゼレンスキー氏がウクライナの大統領に就任したのは2019年のことであり、先に書いた「クリミア危機」や、この映画で描かれた時期の「ウクライナ軍」の行動にゼレンスキー氏は無関係ではないかと思われる。
 というか、このたった今、わたしとてこの『バンデラス ウクライナの英雄』という映画を観たあとでも、プーチンの糾弾なくしてゼレンスキー批判に走ることは、大きな大きな錯誤だろうとは、今のわたしは思っている。

 それで一本の「映画」として観たとき、けっこうシリアスでリアルっぽい「戦闘」の描写の中で、まずは冒頭に出てくる主人公のキエフのウチが「超リッチ!」って感じでミスマッチだし、だいたい戦地に彼女がのこのこついて来て、なぜか彼女が川べりで脱いじゃっての「ラブシーン」もしらける。そして、それまでの闘争シーンから乖離のある主人公の「非現実的」な、まさに「ヒーロー」という活躍ぶりもしらけ。けっきょく、リアリティを目指した映画だとしても、「創作」だね、ということになってしまった感がある。