パトリシア・ハイスミスの原作については、ここでは書かないで別に書くけれども、この映画の監督はトッド・ヘインズで、これは彼がゲイだとカミングアウトしているからこそ、さいしょっからこの映画の監督に抜擢されていたのか、それともそもそもがトッド・ヘインズの企画だったのかとも思ったのだが、そうではなく、さいしょの監督が降板したあとに彼が選ばれたのだということ(ヘインズもこの作品の映画化の件には興味があったらしいが)。
脚本のフィリス・ナジーという人はハイスミスの友人で(フィリス・ナジーもレズビアンである)、ハイスミスの生前に彼女から彼女の作品を映画向けに脚色してみないか、と打診されていたのだといい、1996年にこの『キャロル』の第一稿を書き上げていたらしい(ハイスミスの生前には間に合わなかったし、映画化の権利の問題などで映画化までにはさらに時間がかかる)。
監督がトッド・ヘインズに決まったあと、ナジーとヘインズは共に脚本を修正したという。
この作品の素晴らしい撮影はエドワード・ラックマンという人によるもので、この人はそのキャリアの初期にはヴィム・ヴェンダースの『東京画』を撮影、トッド・ヘインズの『エデンより彼方に』の撮影も担当していて、当然トッド・ヘインズが呼び寄せたのだろう。彼は「スーパー16㎜フィルム」でこの作品を撮影した。
この映画のファースト・シーン、タイトルのインサートされるシーンのバックは、古い鉄製の装飾的な門のように見えたけれども、タイトル文字のインサートが終わってカメラが動き始めると、それが道路わきの側溝の蓋だったことがわかる(ひょっとしたら『見知らぬ乗客』への言及?)。そしてカメラはその側溝のすぐ向こうを歩いて行く男を追い始め、男が車道を渡って向かいのビルの中へ入って行くまでを、ワンシーンワンカットで撮り切る。その男は映画では重要人物ではないけれども、とっても素晴らしい導入部だと思う。
撮影は『エデンより彼方に』のテクニカラー的なものではなく、どこか落ち着いた色彩の、クラシックな味わいを感じさせられた。構図の上でも、例えばテーブルをはさんで向かい合う2人の、片方を壁とかでさえぎり、画面上はどちらか一人しか見えないような写し方がよくされていたし、そういうさえぎる壁とかによって画面は縦長に切り取られたりする。屋外でも草や木が際立つ構図の撮影だったし、建物もあからさまなほどに「ヨーロッパ調」の建物が登場。そういうところでも、ヨーロッパ映画っぽい空気も感じさせられた。
それから音楽は、コーエン兄弟の作品でなじみのカーター・バーウェルで、この作品のタッチをフォローする、しっとりとした音を聴かせてくれた。
物語は、大きなデパートのおもちゃ売り場で働くテレーズ(ルーニー・マーラ)が、やって来たあでやかな姿の気品あふれる客のキャロル(ケイト・ブランシェット)に目を止めるが、キャロルの方もテレーズに目を止めていて、キャロルの忘れた手袋(わざと忘れた?)の縁もあって、まずはいっしょに食事をするが、キャロルはそのとき離婚調停中なのだが、娘と会う権利を得るために討議中。そんな中にテレーズも巻き込まれていく。
テレーズは美しく気品のあるキャロルに惹かれているのだが、まず二人の関係をリードするのはキャロルの方で、クリスマスのあと、キャロルはテレーズを誘って旅に出る。
その旅行で二人は一線を越えるのだが、キャロルの夫に雇われた探偵が隣室でその模様を盗聴録音していた。その録音テープの件もあってキャロルの親権争いは不利となり、キャロルとテレーズはしばらく会わないことにする。
そのあいだにテレーズは念願だったカメラマンへの道のため、新聞社に勤め始める。キャロルは娘への親権はあきらめ、テレーズと再会し、同棲しないかと持ち掛ける。即答はしなかったテレーズだが‥‥。
時制は1952年、「同性愛」に対する世間一般の眼は、まだまだ偏見に満ちていた時代だった。キャロルには前に関係を持っていた女性のアビーがいて、今でも親しくしている。アビーの存在がキャロルの夫にキャロルを「そういう女」と思わせているわけで、離婚調停にも影響を与えているわけ(離婚はキャロルから申し出たもののようだが)。アビーはテレーズとも会って親身にアドヴァイスしてあげる。
ケイト・ブランシェットはもう、「さすが」のヴィジュアルと演技で気品あふれる女性を演じて圧巻(実は、昨日観た『パトリシア・ハイスミスに恋して』に写真が紹介されたハイスミスの母親に似ているみたいな気がした)。脚本のフィリス・ナジーは、この映画でのキャロルの造形に、「グレース・ケリーからインスピレーションを得た」と語っているらしい。
ルーニー・マーラは、そ~んな大女優にまさに「胸を借りる」感じだったのでは、と想像するけれど、彼女だって相当に演技力のある女優さん。『ア・ゴースト・ストーリー』の彼女も良かったなあ。この『キャロル』では、前半はまさに「食事のメニューも自分で決められない」、強く自分を押し出せないところを見せながらも、キャロルといっしょに旅に出たあたりから変化を見せ始め、ついにはしっかりと自分の進む道を決める女性へと成長するさまを、その表情の上からもしっかり表現されていた。わたしは彼女が自分の部屋で自分の撮ったキャロルの写真を現像するときの、真剣な顔が好きだった。今のところ、この作品がルーニー・マーラの「代表作」と言えるだろう。
今でもまだ、こういう「LGBTQ」映画への評価はイマイチよろしくないように思えるが、この作品は相当に素晴らしい作品だったと思う。ちなみに、英国映画協会がアンケートで決めた「史上最高のLGBT映画」で、この『キャロル』が第一位に選ばれたということ。
映画化された自分の作品をどれも気に入ることのなかったパトリシア・ハイスミスがこの『キャロル』を観ることができていれば、きっと大いに気に行ったのではないかと思うなあ。