ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『怪談蚊喰鳥』(1961) 森一生:監督

 大映は1959年の『四谷怪談』、1960年の『怪談累が淵』につづいて、この1961年には『怪談蚊喰鳥』を公開した。原作は新作歌舞伎の作者でもあり落語にもうんちくのあった宇野信夫によるもので、監督はすでに売れっ子で前年には『不知火検校』を撮っていた森一生なのだが、特筆すべきは橋本忍がこの作品の構成と監修を担当しているということ。よくわからないが現場での演出は森監督が当たり、橋本忍は現場ではなく外から映画のことを見ていたということだろうか。
 出演は盲目の按摩に船越英二常磐津の師匠の菊次にまたもや中田康子、そしてその情夫の孝次郎に小林勝彦、全編ほぼこの3人だけの出演で(時々外の古井戸の前で寺の小僧が幸次郎と短い会話をするが)、舞台になるのもすべて菊次の住まう寺の裏の家屋と、その寺の裏の墓地と古井戸のある空き地だけしか出てこない(これはほとんどこのまんま、舞台で上演出来そうだ)。それで濃密な、それぞれが欲にまみれた3人のドラマが繰り広げられるのである。『怪談累が淵』のように、幽霊の出番は少ない。

 按摩師の辰の市は菊次に夢中、ぞっこんで菊次の住まいに通い詰めているのだが、菊次はやくざ者の幸次郎に惚れ込んでいる。しかし幸次郎にとって菊次は金をねだれば出してくれる金ヅルでしかない。
 ある日、また辰の市が菊次を訪ねて来て菊次の肩を揉むのだが、辰の市に生気がないし、その手がやけに冷たいのだ。
 辰の市が帰ったあとすぐに、辰の市にそっくりの、やはり按摩の徳の市がやってくる。そして兄の辰の市は菊次に恋焦がれてこがれ死にしたのだと話す。「では先にここに来ていた辰の市は亡霊だったのか」と菊次は気味悪く思う。
 そのときから、徳の市は死んだ兄のように連日、菊次の家に通い詰めるようになる。菊次はうっとうしく思うが、幸次郎は「徳の市は大金をため込んでいるに違いない」とにらみ、菊次を言いくるめて徳の市を誘惑させるのだ。
 ところがそのことで調子に乗った徳の市は菊次の家に居座り、旦那のようにふるまい始めるのだ。怒った幸次郎はそんな徳の市を追い出すのだが、それからすぐにしおらしくなった徳の市が戻ってきて、「こうなったのも死んだ兄のせいなのです」と語りはじめる。辰の市は死に際に徳の市に五十両を託し、「これはわしが菊次のために貯めた金。菊次のもとに届けてほしい」と言ったのだが、徳の市はその金を着服しようとしたために、その後辰の市の亡霊に祟られているという。今はまず手元の二十両を菊次に渡し、残る三十両も貸し手から取り戻し次第譲ると言う。そのときに徳の市は幸次郎に金の受け取りと菊次を徳の市に譲るという証文を書かせたのだった。
 それ以来徳の市はまた菊次の家に居座り、横暴にふるまうようになってしまう。いつまでも残額の三十両を払う様子もなく、幸次郎は菊次と語らい、徳の市を毒殺するのだった。
 さいごは二人で徳の市の首を絞めて殺し、死体は「じきに埋めてしまう」と聞いていた外の井戸へと二人で運んで投げ捨てるのだった。
 幸次郎と別れた菊次が部屋に戻ると、そこには辰の市らしい一人の按摩が座っているのだった。それを見た菊次はふらふらと井戸のたもとへと行くのだった。
 翌日、幸次郎は寺の小僧から「井戸を埋めるのはやめて、さらに掘り下げることになった」というのを聞き、夜になって徳の市の死体を引き上げようとする。ところが井戸に降りてみると、そこには徳の市の死体と重なって菊次の死体も倒れていた。幸次郎は驚き井戸から上がろうとするが、そのとき上からのぞき込む辰の市の顔を見、悲鳴を上げて井戸に転がり落ちるのだった。
 実はこのとき上からのぞいていた辰の市は、幸次郎が菊次と別れるために菊次を驚かせようと、役者に金を払って辰の市に扮しさせていたものなのだった。翌日、古井戸の外には三人の遺体がむしろをかぶせられて並んでいたのだった。
 さいごに、「死んだ者よりも、生きている者の方が恐ろしい」とのことばが流れる。

 さて、映画の冒頭に登場する辰の市こそはホンモノの幽霊なのだろうが、さいごに幸次郎が辰の市(もしくは徳の市)と思ってしまったのは、彼自身が雇って扮装させた役者の姿だった。しかし、幸次郎と菊次が徳の市を殺して井戸に投げ捨てたあと、菊次が家で見たのはその役者だったのか、それともじっさいに「亡霊」だったのかは、しかとはわからないわけだ。映画としてのそのライティングだとか演出だとかは「亡霊」っぽい見せ方だったけれど、幸次郎が雇った役者だったのでは?という疑念もある。ただ徳の市を殺めた直後だし、このとき菊次と別れて出かけた幸次郎はそのときに役者を雇ったのだとも考えられるだろう。やはり「亡霊」か。

 「怪談」というよりは「サスペンス」と呼びたくなる作品で、三人それぞれの思惑がうまく描き分けられているし、クライマックスともいえる幸次郎と菊次が徳の市をだまして毒入りの鍋を食べさせ(そのとき二人は鍋を食べるフリをするだけ)、なかなか死なないとみると帯で二人がかりで絞殺する場面、やはりおぞましさと迫力にあふれるシーンだった。
 あとやはり、こうして大映の怪談映画に3本連続して出演した中田康子がいい。まさに「善人」とは言えない「悪女」の心の歪みをしっかり表象化していて、時に若尾文子のように見えたりもする。そして「不気味さ」と「図々しさ」とを演じ分ける船越英二もいいし、まさに「チンピラ」だねという小林勝彦の演技とで、主演3人のバランスがしっかりと取れていたと思う。

 さいしょに書いたように、舞台となるのは菊次の住まいと、その前の寺の墓地のある空き地(その真ん中に一本の木があって、そのそばに古井戸がある)だけで、それ以外の場所は出てこないわけだけれども、そのことがこの映画の「求心力」を高めていたと思う。古井戸のつるべの描写も効果的だったし、空き地に一本立っている、ほとんど枝葉のない木の造形が印象に残り、映画の「家の外の空間」を特徴づけていた。また、時に手持ちカメラでゆらりとゆれる撮影にも惹かれた。
 書き忘れていたが、音楽も邦楽の音をうまく取り入れて魅力があった。