ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『メイスン&ディクスン』(下) トマス・ピンチョン:著 柴田元幸:訳

 ついに、この分厚い本を読み終えたのだが、どうも途中で使用していたパソコンのクラッシュなどということもあって、読書継続の気分がそがれてしまったのは確かだし、果たしてちゃんと集中して読んだのか、今ではどうも記憶にあやふやなところもある。
 そういうわけで、これでは「読んだ」と胸を張って言えるわけでもなく、ここからまた上巻に戻って再読することにした。

 記憶に残る範囲で書けば、ついにメイスンとディクスンとの測量も終わって「メイスン=ディクスン線」も引き終える。二人はイギリスに戻るが、ディクスンは再びめぐってきた「近世の日面通過」観測のためノルウェーのノースケープへ、メイスンはアイルランドへと別々の地に送られる。
 しばらく後にメイスンとディクスンはスコットランドのディクスン家で再会。二人で釣りをしたり酒を飲んだり旧交を温めるのだった。
 ディクスンも結婚するが痛風に悩まされるようになる。メイスンもまた再婚し、二人の子供も生まれるが、ディクスンの訃報がもたらされる。メイスンは息子のドク・アイザックとディクスンの墓参りに行き、その後アメリカへ移住する。メイスンは老衰で死の床につき、妻は二人の子を連れてイギリスへ戻るであろう。先妻レベッカの子、ドクとウィリアムはアメリカに残り、メイスンを看取るのであろう。

 この本は、全体がメイスンとディクスンの測量作業に同行したチェリコーク牧師が、その後その時のことを甥や姪たちに話して聞かせる毎夜の物語なのだという「入れ子設定」なのだが、あるときいきなり、それまでとはまったく関係のない「囚われの女性」の物語が始まるのだが、その部分は実はチェリコーク牧師の話ではなく、姪が毎夜読んでいる『蒼伊達』という冒険小説だとわかるのだが、チェリコーク牧師の話が進むとその中に『蒼伊達』の登場人物が現れるようになり、『蒼伊達』の話が引き継がれる。ここのところの「アクロバット技」がわたしには面白かったし、ここで登場した中国人の「張大尉」という人物、後々までメイスンとディクスンと共に測量に携わり、メイスン&ディクスンの西欧的宇宙観の「アンチテーゼ」というか、反宇宙論を語る。

 メイスンは2年前に亡くなった妻のレベッカの亡霊に執着するのだが、イギリスがグレゴリオ暦に移行したときの「失せた11日間」を考えるとき、その失われた11日に入り込み、そこでレベッカに出会うのだった。

 こういう風に、この本の中にはたくさんの「挿話」といっていい話がちりばめられていて(ディクスンはノルウェーからの帰りに地球の「空洞」に足を踏み入れたりもするし)、細かく読めば頭の中はそういうディテールの記憶でいっぱいになってしまうことだろう。今から「2回目」を読むにあたって、その「記憶領域」を頭にしっかり確保しておかなくてはならないか。

 メイスンとディクスンとが再会したとき、二人でデュエットを歌う場面ではグッときたのだった。