ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-09-11(Mon)

 今日は、2001年のアメリカでの「同時多発テロ」から22年の日。それで以前読んだおかしな話を思い出してしまったのだけれども(「悲劇的事件」を茶化すようなことになってしまうが)、事件後のアメリカのSNSに「中国は時差でアメリカより半日早く一日が始まるというのに、なんで中国はアメリカにこのテロが起きることを知らせてくれなかったのか?」という書き込みが「実際に」あったということだ。
 それに似た話は今読んでいる『メイスン&ディクスン』にも書かれていて、1752年の9月3日にイギリスは「グレゴリオ暦」を導入し、その9月3日を「9月14日」にして、すでにグレゴリオ暦である海外と歩調を合わせたのだったが、では、その「9月3日から9月13日までの11日間」はどこへいってしまったのか、というわけである。人々はその暦の移行で「失われた11日間」に関して、いったい得をしたのか、それとも損をしたのかという論争が起きるというのが、『メイスン&ディクスン』の中に書かれている。おそらく当時は現実にも、ちょっとした「議論」になったことだろう。わたしもその「失われた11日間」のことを考えてみたけれども、それが得になるのか損になるのかわからなかった。

 この日は月曜日なので、「ふるさと公園」へと歩いた。気温も少し低くなってきたようなので、午前中に家を出た。たしかに日陰に入ると、吹いてくる風が爽やかな気がする。さすがに9月だなあ(まだまだ暑いけれども)。
 わたしは、先日の台風の雨で「ふるさと公園」の池の水位も上がっているのではないかと予想していたのだが、公園に到着して池を見てみるとぜ~んぜん水位も上がってないというか、逆にいくぶん水位は下がってしまっているようだった。

 ちょうどわたしの目の前に、この日は「サギ」がやってきて、しばらくわたしの前を歩んで行った。「ぬき足、さし足」という感じで慎重に歩くのだった。
 「白いサギ」というと、それが「コサギ」なのか「チュウサギ」なのか「ダイサギ」なのか、ということになるのだけれども、まあ小さければ「コサギ」、大きければ「ダイサギ」ということでいいじゃないかとも思うのだが、厳密に考えればそうもいかない。
 この「サギ」はそれほど大きくもなく、やはり「チュウサギ」かと思っていたのだけれども、帰宅してから調べると、その口の大きさなどから「ダイサギ」ではないか、ということだった。

     

 この日も「コブハクチョウ」の家族はいたのだけれども、対岸の遠いところにいたり、笹やぶの影にかくれてしまったりして、あんまり写真は撮れなかった。

     

     

 バナナもバターロールパンもストックがなくなっているので、いつもなら北のスーパーへ買いに行くのだけれども、その「ふるさと公園」の近くのドラッグストアにどちらも売っているので、今日はそこで買い物をした。バナナは小さいけれども北のスーパーより安く、バターロールパンはちょびっと高かったが。

 帰り道、跨線橋の上から空を見上げると、東の空はずいぶんと不穏な感じに黒ずんでいた。あの雲の下あたりは雨とか降って、雷も鳴っているのではないかと思った。風向きから、あの雲がこのあたりに来るようなこともないかと思ったが、このあたりだって、不安定な天候だということに変わりはないだろう。

     

 今日も『メイスン&ディクスン』下巻を読んだ。今日読んだところは「メイソン=ディクソン線測量作業」がメインで、かなり長々と書かれていて意外(途中登場する見世物になっていた「シビレエイ」を作業チームに入れ、その蓄電能力を利用して「コンパス」として使ったりもする)。上巻でも「メイソン=ディクソン線測量作業」は行われていたはずだけれども、ただ「やるところまでやった」ぐらいの書き方で、どんな作業だったのか、なんてことは書かれてなかったのに。
 しかし今日は読書もあまりはかどらず、「今週中にすべて読了」という目標は、早くも危うくなってきた感じだ。