ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-11-10(Fri)

 昨日は「Newsweek」の猫の特集号を買ったのだけれども、今度はAmazonでガチャガチャカプセルの「カモノハシ」フィギュアを見つけ、つい買ってしまった。4匹いて、赤ちゃんが2匹と卵が2個ついている(カモノハシは哺乳類だけれども、卵を産むという摩訶不思議な生き物なのだ)。エサのミミズ(?)をくわえているのもいる。
 先日スーパーにあったガチャガチャで「座禅を組むカモノハシ」を買っていたのだけれども、今回買ったのは眼がクルリとしてかわいい。

     

 前のカモノハシはノートパソコンの上に置いてあったので、今回の4匹もやはりパソコンの上に並べて置いておくことにした。いつも目の前にカモノハシがいてくれると、心がなごむ気がする。猫とカモノハシ、わが家は平和なようだ(いちばん右が、前に買ってあった「座禅を組むカモノハシ」)。

     

 昨日今日と気温もさほど上がらず、ようやく秋らしい気候になったみたいだ。午前中にはスマホに「このあたりに雨雲が接近中」という知らせが届いた。わたしは必要なものは買ってあるので買い物に出かけることもなく、一日部屋で過ごすのだった。夕方テレビを見ていると都心では雨も降っていたし、この日の最高気温は20℃にも届かなかったようだ。予報では日曜、月曜は寒くなり、気温も13℃ぐらい。一気に12月の気候になってしまうようだ。「もう秋は終わりかよ!」と言いたくなる。

 テレビの報道では、ガザ地区の情況はいまだ危機的情況がつづいている。イスラエルのネタニヤフ首相は「停戦」の呼びかけにまったく応じようとはせず、「ハマスが人質を解放するまでは攻撃をつづける」と言う。それに対してハマス側は「攻撃がつづいていれば人質を解放しようにもしようがない」というようなことを言っていたようだ。
 それはハマス側の言い分に一理あるのではないのか。それに今のイスラエルによる攻撃では、人質もいっしょに攻撃してしまうのではないか。そもそも今イスラエルがやっていることは「ハマス1人を殺すために一般市民10人を殺してもいいのだ」みたいなことではないのか。それに今のままでは世界中で「反ユダヤ」感情も大きくなっていくだろう。今はまず「停戦」の時ではないのかと、強く願う。

 この日も、ニェネントくんはわたしの顔を見て「にゃ~ん」と啼くのだ。何だろう。遊んでほしいとでも言っているのだろうか。遊ぼうとすると逃げて行くクセして。
 今日ネットで読んだ記事で、「犬は人間の4歳ぐらいの知能があるというけれども、猫というのは同居しているティーンエイジャーみたいなもの。食事とかいろいろと世話にはなりたいけれども、できるだけ家族と距離を取ろうとするのだ」というのを読み、「ああ、まさにニェネントくんはこの通りなのではないか」と思うのだった。

 このあいだ「ダブリン・コデール」をつくって以来、「これは簡単でおいしいや」とはまってしまい、いろいろとアレンジしてつくることにした。どうってことない、ただ野菜類をコンソメだけの味付けで煮込むだけなのだけれども、じゃがいもとウィンナーは必須だろう(わたしは毎回タマネギとニンジンはプラスするが)。
 先日はキャベツが残ってしまっていたので、キャベツを入れてつくってやはりおいしかったのだけれども、冷蔵庫の中をみると、トマトを調子に乗って買いすぎていたので(今はトマトが高値だということで、ちょっと安いトマトがあるとついつい買ってしまうのだ)、今日はトマトを入れてつくることにした。って、もう「コデール」とかいう必要もなく、単に「トマトシチュー」なのだ。
 とにかく、ご飯を炊いているあいだ、鍋に材料を入れてコトコトと煮込むだけ。放置しておけばいいので超簡単である(肉を使うと煮込む前に炒めるとかの手順が加わるけれども、ウィンナーならば何もしないで煮込むだけでいい)。今日もおいしい「なんちゃってコデール」ができた。明日一日分も残っている。

 今日はYouTubeで、2017年の「ショートショートフィルムフェスティヴァル」というイヴェントでの講演「黒沢清が伝授する演出のポイント」というのを見た。
 その中で「なるほどなあ」と思ったのは、「映画の中で人を写すとして、その写し方はさまざまあるとしても、どうしてもその写される人の周囲に何かが写ってしまう。その写ってしまうものをどうするか、ということから<演出>は始まるのです」ということ。
 そのことばとは別に、黒沢清監督の作品では「何かが写ってしまう」ということこそ、重要なキーワードなのではないか、などとは思うのだった。