ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-10-25(Wed)

 昨日「ふるさと公園」からの帰り道、駅の方へ歩いたときにまた、駅の近くの公園の近くで何度か出会った美猫の野良に出会った。やはりきれいなネコだと思う。

     

 それで、自分で「美猫」と書いてしまってから、「これって何て読むんだろう?」って考えてしまった。わたしはきっと「びびよう」だろうと思ったけれども、どうも音の響きがあんまり良くない気がする。
 それでネットで調べてみたら今は「びねこ」と読むケースが多いみたいだ。それから夏目漱石の『吾輩は猫である』の中では「美猫<びみょう>」とも書かれているらしい。「びびょう」というのは漢音だけれども、「びみょう」とは呉音なのだ。呉音は平安時代には和音とよばれていたけれども、以降呉音となったらしい。今でも仏教関係の語に多く用いられているという。

 この「美猫」にもけっこう会っているので、今まで出会ったネコにしてきたように、わたしがわたし用に勝手に名前を付けようかと考えた。野良ネコだから「ノラ」でいいかと思ったが、ちょっと工夫がない。それで昔のブルース・リーとかの香港カンフー映画に「ノラ・ミャオ」という女優さんが出演していたことを思い出し、「ミャオ」というのもネコにぴったりの名だと思い、この美猫くんはそのまんま「ノラ・ミャオ」と名付けることにした。もしくはただミャオくんでもいいだろう(これも工夫がないが)。

 今日も天気のいい一日になったけれども、日が暮れてからスマホに「このあたりでもうじき雨が降り出す」という知らせが届いた。そのうちに遠くからかみなりの音が聞こえてきて、断続的に雷鳴が響き、その音がだんだんに大きくなってきた。「おお、けっこう近くなってきたな」と思ったが、そのときニェネントくんはキャットタワーの上で丸くなって寝ていて、かみなりの音などまるで気にしないで寝つづけていた。
 このあたりで雨が降ったかどうかはわからないけれども、このところ晴れの日がずっとつづいて空気もカラッカラに乾燥していたから、「ちょうどいいお湿り」というところだっただろう。

 報道で、滋賀県東近江市の小椋市長とやらが県の首長会議の席で「フリースクールは国家の根幹を崩してしまうことになりかねない」と語り、さらに会議後には「不登校の大半の責任は親にある」などと語ったことが問題にされていたが、この日の会見で市長は「誤解を招いた」として「謝罪」はしたが、発言自体は信念を持ってのことなので、「発言の撤回はしない」ということだったらしい。
 なんか、こういう論法は最近別のところで聞いたな、と思うのだが、そう、あの例の自民党埼玉県議団の「埼玉県虐待防止条例改正案」が、埼玉県のみならず日本中から批判されたとき、団長の田村琢実という人物が同じようなことを言っていたのではないか。あのときも田村氏は「言葉足らず」ではあったと述べながらも、その内容については「瑕疵がなかった」とされていた。
 つまり、先の東近江市長の小椋氏も、埼玉の田村氏も、「自分の発言は間違ったものではなかった」としているのではないのか。
 ここで言えるのは、どちらも保護者と児童との関係についての問題ではあると思うが、小椋氏は「不登校の責任は親にある」とし、不登校への対策として生まれたフリースクールの存在を否定しようとし、田村氏はベビーシッターを呼ぶ余裕のない保護者に「児童だけで留守番をさせるのは虐待だ」としたのだ。つまり、どちらも行政、社会の救済政策を否定し、すべてを保護者の責任にしようとしている。これが政治家の言うことだろうか。
 小椋市長もやはり「自民党、維新の会推薦」で当選した人ではあり、どうも自民党というのは根底にこういう思考を根底に持っているのではないだろうか。

 今日は午後、「Amazon Prime Video」でウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』を観ることができるとわかったので、先日『アステロイド・シティ』を観たばかりではあるし、しっかりと観ることにした。
 この作品もむかし観たことのある映画だったけれども、記憶に残っていたのは冒頭のシーンと、登山ロープウエイのシーンとだけだった。つまり、ストーリーは何ひとつ記憶していなかった。