ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-10-10(Tue)

 昨日の雨もやみ、昨日の「11月並み」の寒さも一日だけでおさまったようだ。昨日歩かなかった「ふるさと公園」へと歩いた。ちょっと厚手の長そでTシャツを着て家を出て、出たときは暑くも寒くもなく快適だったけれども、帰り道では少し暑く感じた。

 ふるさと公園、先週は雨のせいで水がきれいになった池に鴨がいっぱい集まってくつろいでいたのだけれども、今日はその池に1羽の姿も見かけなかった。鴨たちとしては「いちおう先週は立ち寄ってはみたけれども、やっぱりこの池は狭いし浅いし、よろしくないな」という感じだったのだろうか。
 しかしあれだけいた鴨たち、今日は公園の中のどこにも姿を見かけることはなかった。いったいどこへ行ってしまったのだろうか(おそらく、もっと西の手賀沼の方へ行ってしまったのだろう)。
 この日のコブハクチョウの家族は水から上がって3羽並んでしゃがみこみ、むこうを向いてしまっていた。

     

 今日も2羽のサギが公園に来ていたが、1羽は「コサギ」、もう1羽は「チュウサギ」だろう。くちばしが黒いのはコサギで、黄色いのがチュウサギ。大きさで比べなくっても、くちばしの色でこの2種の見分けはつく。

     

     

 帰り道、跨線橋の上から空を見ると、たしかにもう夏の空ではないように思えた。でも、これが「秋らしい空」かというと、ちょっと違うような気もする。

     

 午後、3時ごろになって、わたしのそばにやってきたニェネントくんが、わたしに何か訴えるようにわたしの顔を見て「にゃあにゃあ」となくのだった。ニェネントくんがこうやって何かをわたしに訴えてくることなどめったにないわけで、「何だろう?」と考えたが、夕食の時間が近いので「おなかすいたからごはんちょうだい!」と言っているにちがいない。食事を出してあげると勢いよくがっつくのだった。
 でも、食事の量はずっと変えてないし、どうしてこの日は「おなかすいた」と訴えてきたのだろうか。よくわからないのだった。

 昨日書いた埼玉県の「虐待禁止条例」だけれども、夕方になって、自民党県議団はその改正案を取り下げたというニュースがあった。昨日書いた田村琢実団長がメディアの前で説明したのだが、その中で彼は「内容に関しては瑕疵はなかった」とのたまっていたわけで、以後その「瑕疵はなかった」という発言に対しての批判もまたあふれるのだった。
 埼玉県庁(?)には千件を超える意見が寄せられたというが、この条例に賛成する意見はわずか2件、その他はすべて反対意見だったという。
 ちょっと思ったのだが、この条例でいう「虐待」とは子供たちを子供たちだけにしてしまうことのようだが、たしかにそのようなケースで何件かの「事故」が起きているのは確かだけれども、そのことを「虐待」と呼ぶのはまったく違うのではないのか(もちろん、中には子供を完全に放置してしまう「虐待」もあるかもしれないが)。

 それよりも、最近報道される「虐待」というのは、その子の親、もしくは同居者によるじっさいの「暴力」という虐待事件の数が多いように思う。これは子供を「放置」したためというより、むしろ「常にいっしょ」にいることから起きているようにも思える。「しつけ」と称しての暴力で命を失う子の数は少なくないと思うし、それこそが「虐待」だろう。
 こういうので思い出されるのは、「隣の部屋から子供の泣き声がやまない」ということで隣人が通報したのだが児童の保護のための動きがなく、その後その子供の折檻などの暴力での死亡が確認されたという痛ましい事件のことなど。これはその子供が「放置」されたからではなく、むしろその子供にとっては「暴力的な親などからの逃げ場がなかった」という悲劇になるのではないのか。
 そういうのではこの埼玉県の「虐待禁止条例」、家庭内での他者の目の届かないところでの「虐待」には目をつぶり、家庭から出た社会の中で可視化される部分しか見ようとしていない。本当の「虐待」とは何なのか、田村琢実ら埼玉県自民党県議団の連中には思考できないのだろう。今回のことを「瑕疵はなかった」とのたまうように、彼らは根本的な考えを改めて条例案を撤回したわけではないのだ。議員の資格もないのではないのか。