「結膜弛緩症」とされた眼の状態だけれども、この2~3日はかなり状態も良くなっていて、もう放置しておいても自然治癒してしまうのではないかとも思え、また眼科医へ行こうという考えもどこかへ行ってしまった。病院へ行かないのはこの暑さのせいもあるけれども。
もう8月も終わりに近づき、この暑さもいい加減和らいでくれるのではないかと思うが、いつまでも暑い日がつづく。朝起きると「今日はエアコンを使わなくっても乗り切れるだろうか?」と、扇風機だけでしばらく過ごすのだが、1時間もすると部屋の中もム~っと暑くなり、「やはりエアコンをつけよう」となってしまう。買い物とかで外出するにしてもスマホでこのあたりの気温を見て、34℃とかになっていると「外出はやめておこう」となり、出かけるなら夕方にしようと思うのだ。
わたしの中では、そんなスマホの天気予報で気温が32℃ぐらいになれば、「外に出てもいいかな」という気分になれるだろうと思う。しかしそんなスマホの天気予報をみても、気温が32℃ぐらいになるのは一週間後、9月の3日でようやくのことなのだ。32℃でもしっかりと暑いのだが、「あと一週間の辛抱かな」という気分。
しかしニェネントは「暑い」と感じているのだろうか。和室の押入れの中やベッドの下に引きこもっていることが多いけれども、押入れの中とかはけっこう涼しいのだろうか。
それでも食事の前後の時間とか、一日のある程度の時間はキッチンに出てきて「ぐた~」としている。一見具合が悪いのかとも思ってしまうけれども、こういうポーズは「リラックスしている」というか、安心しきってのポーズだともいう。
でも、こういうときにニェネントくんを抱き上げようと近づくと、まさにツンデレぶりを発揮して和室にいそいそと逃げ込んで行ってしまう。今日もわたしが近づくと和室へ行ってしまい、さらにわたしがついて行くとまずはキャットタワーへ飛び上がり、さらにそのキャットタワーの上からそばのクローゼットの上まで飛び上がって、そこに置いてある古いペットキャリーの中へ入ってしまう。その場所はニェネントくんの「とっておき」の避難場所でもあるのだけれども、わたしが近づくとそうやって「避難」するというのはわたしには面白くはない。
しかし、そこへジャンプして飛び上がるのは実に軽々しい身のこなしで、体調は万全というか、「まだまだ若いね」とは思えるのだった。
テレビで「首都圏ナビ」という番組をやっていて、「望まぬ孤独」ということの特集だった。知らなかったが、この5月には「孤独・孤立対策推進法」というのが成立していたらしい。いったいどんな内容なのだろうか。「孤独」というのではわたしだって「孤独」だよなあと思ってみていたが、「"孤独状態"チェックリスト」というのが出てきて、まあテレビではすべて読み切れないのでネットで探してやってみた。
全20問4段階チェックで、「孤独」の度合いに応じて1~4をセルフチェックする。「44点以上だと高い孤独感」だということだったが、わたしは軽く50点を超えたのだった。わたしもこの数年、ほとんど知人友人と会ってはいないし、去年の秋に仕事を辞めてからはその度合いはさらに高まっていると思う。
まあこれで当人が「孤独でつらい」と思っていれば問題だろうが(「孤独」の死亡リスクは喫煙、飲酒、肥満などよりも高いのだという)、わたしはそのことを「つらい」などとは思っていないし、積極的に今の状態を変えようとも思ってはいない。
おそらくそういうところで、ニェネントくんといっしょに暮しているということが「ポジティヴ」な思いを産んでくれているのだろう、とは思う。生きる上で身近に「大事な存在」がいてくれるということは、とても大切なことだ。
この日も映画など観ずに、ナボコフの『賜物』を読むのだった。時間をかけた割には先に進まなかったが。