ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『グリズリーマン』(2005) ヴェルナー・ヘルツォーク:監督

 昨日日記に書いたようにわたしはこの作品を、今読んでいる『熊 人類との「共存」の歴史』(ベルント・ブルンナー:著)という本で知った。そこにこの作品の主人公であるティモシー・トレッドウェルのことが書かれていて、ヴェルナー・ヘルツォーク監督がそのティモシー・トレッドウェルが撮りためた膨大な量のヴィデオを編纂し、この『グリズリーマン』というドキュメンタリーをつくったのだった。日本未公開の作品だったが、この「U-NEXT」で観ることが出来た。

 ティモシー・トレッドウェルはアメリカの「熊愛好家」であり、「環境保護主義者」、熊保護団体『グリズリー・ピープル』の創設者だった。彼は人間とクマとは共生出来ると考え、1990年から2003年まで毎年、アラスカのカトマイ国立公園の「グリズリー(ハイイログマ)の聖域」と彼が呼ぶ地域でキャンプして夏を過ごした。彼にとってはその行動は「野生動物の保護」を訴える行動であり、最後の5年間の夏にはヴィデオカメラで100時間を超える映像を記録した。彼は観察対象のクマをヴィデオに撮り、無防備にクマの非常に近くまで接近した。彼はそれを「お互いの信頼と尊重によるものである」と考えたらしいが、動物学者らは彼の行動を批判した。同時に彼は自らの姿をセルフ撮りして(たいていはそのバックにクマがいっしょに写っている)、自らの主張を訴えるのだった。
 そして2003年の10月、予定を越えて長く滞在した「グリズリーの聖域」で、ガールフレンドのエイミー・ユグナードと共にクマに惨殺される。実は2人がクマに襲われたときの様子は、キャップをはめられたままのヴィデオカメラによって(音声のみ)録音されていた。

 トレッドウェルの死後、この作品のプロデューサーであるエリック・ネルソンは、トレッドウェルの人生と活動に基づいたテレビ番組をつくろうとしていたが、「ジャクソンホール野生動物映画祭」で偶然ヴェルナー・ヘルツォーク監督に出会い、彼の監督で「劇場用映画」として製作することになった。
 彼らはトレッドウェルの撮影したヴィデオを使用するため、彼の死後にヴィデオ・アーカイヴを管理していたジュエル・パロヴァク(トレッドウェルと共に『グリズリー・ピープル』を立ち上げた人物でもある)に会いに行くが、彼女はトレッドウェルの生前に、「もし私が死んだら、映画を作ってください」と言われていたといい、ヘルツォーク監督ならまさに適任だと思ったということだった。ジュエル・パロヴァク自身、この映画に何度も登場する。

 映画は、草原にまどろむ2頭の大きなグリズリーをバックにトレッドウェルが登場し、まず2頭のグリズリーの名前を紹介する。トレッドウェルが出会うグリズリー皆に名前を付けているのだ。そしてそのクマが成長期の終わりにあり、トレッドウェルに挑発的な態度を取っていると言う。ここでひるんだり逃げたり、弱さを見せると襲われる。「サムライ」のように立ち向かい、クマに自分の方が強いと思わせなければならないと語る。
 彼は、アラスカではいつも自分が「死」と隣り合わせにいることを自覚している。ヘルツォークはナレーションで「自分も野生動物を撮影したが、ティモシーは単なる記録映像を超越した驚くほど美しい物語を残していた」「彼は動物との境界線を越えていた」と語る。彼は時にクマの鼻先に手を触れるほどに近づき、映像に記録している。いつも彼が名付けたクマの名を呼び、最後に「I love you!」と声をかける。

 トレッドウェルは自らのことを、クマを傷つける人間と戦う英雄だと思い込んでいたようだ。永年、夏には人と会わずに長期間キャンプを続けることで、思考も独善的になっていたことだろう。自撮り映像を見ると、まるで映画でテイクを重ねるように、ほとんど同じセリフを繰り返す映像を何度も撮ったりしている。自意識、自己愛も強くなっていたことだろう。テレビなどに出演して知名度が増していたことも、自尊心を強くさせていただろうか。文明への呪詛をダーティーワードで怒鳴りちらす映像もある。
 彼は最後には、彼とクマを守っているはずの国立公園の管理課とも衝突するようになる。

 わたしは今『熊 人類との「共存」の歴史』という本を読んでいるわけだが、そこには歴史の中での人間とクマとの様々な「関係」が書かれている。じっさい、クマという動物は人類の文明といちばん近い距離に棲息する「猛獣」なのだ。昔からクマは「狩り」の対象であり、一方でこのトレッドウェルのように、「クマと仲良く」と訴える人は昔からいたし、今では「動物愛護協会」の力は強くなっただろう。しかし、トレッドウェルという人物は、既成の「動物愛護」からもはみ出す「過激派」だろう。
 例えば最近の北海道で例にとれば、住宅地にもヒグマが姿を見せたりもする。そういうニュースがあると、コメントには「すぐに射殺すべきだ」という意見も、「クマが住んでいたところに人間が勝手に侵入し、クマを追い出そうとしている」とクマを擁護する意見とが、どちらも頻出する。これが「クマと人類との共存の歴史」の縮図である。トレッドウェルは単にクマを擁護するだけでなく、「クマのために戦う」戦士なのだろうか。

 トレッドウェルも有名になったことから、トレッドウェルのキャンプする場所には彼への「嫌がらせ」の落書きも現れる。
 地元の、トレッドウェルをよく知るパイロットは、「トレッドウェルはクマのことをクマの着ぐるみを着た人間のように扱った。クマというのは本来凶暴な動物なのだから、彼の死は起きて当然だったと言える。自業自得だった。」と語る。
 トレッドウェルはヴィデオの中で、キャンプ地の近くに棲むキツネを本当に仲良くなる映像も含まれている。キツネらは、トレッドウェルの周辺をついて回っている。おそらくはトレッドウェルはクマともそんなキツネらと同じように付き合えると思っていたのだろうか。
 ヘルツォーク監督は、トレッドウェルの撮った映像には自分も嫉妬するほど美しい映像もあるという。それは背景の自然の映像だったり、さまざまだ。
 映画のラストは、トレッドウェルが据えたカメラによる映像で、河原を奥へと進んで行くティモシー・トレッドウェルのあとを、大きな2頭のクマがついて行く(ように見える)場面だった。それはまさに、「夢」のようなシーン。

 音楽をリチャード・トンプソンが担当していて、彼のギターをいっぱい聴くことが出来た。CDもリリースされている。買おうかな。