ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-11-08(Wed)

 少し今までよりも外に出ることにしようと思い、今日はとなり駅の映画館にデヴィッド・フィンチャー監督の新作『ザ・キラー』を観に行くことにした。
 デヴィッド・フィンチャー監督は今は「Netflix」と契約結んでいて、その新作は普通には観られない。おかげで観たかった前作『Mank/マンク』は、いくら待ったって「アマプラ」とかでは観られない(いずれは短期間でも「Netflix」と契約しようか、とか思ってしまうが)。この新作ももちろんNetflixだけの公開だけれども、そのNetflixでの配信前に、一部の映画館で公開されているのだ。その「一部の映画館」に、となり駅の映画館も含まれていたわけだ。うれしい。

 映画の上映時間は12時20分からだけれども、これは先月その映画館で『アステロイド・シティ』を観たときと同じぐらいの時間なので、そのときと同じように11時40分ぐらいに家を出た。この日は昨日ほどに気温が上がることはないということで、長そでシャツを着て出かける。
 映画館に到着して、また「お好み」の最後列右側の座席をゲットして、いちど外に出て近くの自販機でペットボトルを買った。前回はコンビニで買ったら、あとで見たその自販機の方が安くって失敗したのだ。

 この映画館では、わたしが9月にやはりここで観た『福田村事件』をずっと上映しつづけているのだけれども、しばらく前にネットで(おそらくはこの作品の製作姿勢に賛同しない人が書いたのだろうが)、「事件のあった近郊の人たちは、かつてこんな事件が自分の住まいの近くで起きた、などということを今さら知りたくはないのではなかろうか」なんて書いていた。事実はおそらく逆で、「自分の住んでいるところの近くでかつてこんな悲惨な事件があったのだ」ということを人々は詳しく知りたいと思い、「今自分の住まいの近くで見られる風景の場所で、百年前に起きた悲惨な事件のことを知りたい」とか「どういう経緯だったのだろう」という関心からもこの映画を観るのではないだろうか。
 わたしもそのようなひとりで、わたしの住まいから事件の起きたところまでは近いとはいえないまでも、10キロぐらいの距離ではあったし、関心は強かった。わたしも、もういちどこの映画を観に来てもいいな、などとは思ったりする。

 この先もこの映画館では12月に『パトリシア・ハイスミスに恋して』が上映されるので必ず観に来るし、同じ12月には鈴木清純監督の「<大正三部作>4kリストア版」も上映される。『ツィゴイネルワイゼン』、観に来ようかなあ。

 映画は「さすがデヴィッド・フィンチャー」と、堪能することが出来た。

       

 帰りに自宅駅前のいつものスーパーに立ち寄り、また前のとちがう生麺のラーメンが安く売られていたのを買った。あと、トマトも安かったので買って帰った。
 家への道ぞいにある公園の中に自転車が乗り捨てられているのを見て、何か心に引っかかって写真を撮った。

     

 帰宅してテレビのニュースを見ていると、クマが人を襲う事件がより増加してきている。「山にクマの食物が少なくなっているから」だと言っている。わたしはそんなニュースを見ながら、「クマは人間の持つ<自然観>を攻撃しているんじゃないか」などと考えてしまった。<自然観>というのは「自然との共存」であるとか、あるいは拡大して考えて「性善説」のようなものであっても構わないとは思うが、クマは人間に「甘いね、自然とはそんなもんじゃないよ」とかいう思いを突きつけているのでは。
 でも、クマにそんな問題を突きつけられても、やはり人間は地球上の動物らの体系のトップに君臨しているわけだから、「共存」ということを捨てることはならないのだと思う。今はそんなクマたちを駆除(殺害)するしかないだろうが、そのあと「これからどうするのか」ということを、クマは人間に問うているのではないだろうか。ただ「人里に下りてきたクマはみんな殺してしまえ」とすることは、それこそクマの挑発に乗ってしまう行為で、選ぶべき道ではないだろうと思う。