ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ギリシャに消えた嘘』(2014) パトリシア・ハイスミス:原作 ホセイン・アミニ:脚本・監督

 原作はパトリシア・ハイスミスが1964年に発表した「The Two Faces of January」(邦題は『殺意の迷宮』)。この原作はイギリスの「犯罪作家協会」の選ぶ1964年の最優秀犯罪小説に選ばれている。
 原題の「1月(January)の2つの顔」とは、Januaryの語源となったローマの神「ヤヌス」の2つの顔、という意味合いで、ヤヌス神は前と後ろに反対向きの2つの顔を持っているのだ。このタイトルは、作品の内容に深くかかわっていると言えるだろう。

 監督のホセイン・アミニは脚本家として名を成した人物で、トマス・ハーディの『日陰者ジュード』を脚色し、マイケル・ウィンターボトムが監督した『日陰のふたり』(1996)、ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』をイアン・ソフトリーが監督した『鳩の翼』(1997)で知られ、後者ではアカデミー脚色賞にノミネートされた。彼が監督した作品は今でもこの『ギリシャに消えた嘘』1本だが、彼はさかのぼる15年前からこの小説を脚色し、自ら監督したいと考えていたという。
 おそらくはかなり周到に準備したのだろう。主演の3人、ヴィゴ・モーテンセンオスカー・アイザックも、キルスティン・ダンストも申し分ない配役だし、ギリシャとトルコでのロケも素晴らしい効果を上げていると思う。音楽はアルベルト・イグレシアスが担当し、ギリシャの音楽を巧みに使用していた。

 物語はギリシャアクロポリスで始まり、通訳兼ガイドとして英語系観光客を案内している(客がギリシャ語がわからないことを利用し、小銭を詐欺もしている)ライダル・キーナー(オスカー・アイザック)という若い男が、チェスター・マクファーランド(ヴィゴ・モーテンセン)と、彼と親子ほどに歳の違う妻のコレットキルスティン・ダンスト)と知り合うことから始まる。
 実はチェスターはアメリカで投資詐欺をはたらいていた男で、彼を追う探偵がチェスターのホテルの部屋に押しかける。チェスターはコレットが気づかないところで誤って彼を殺してしまう。その探偵が同じホテルの同じフロアの部屋の鍵を持っていたところから、チェスターは死体をその彼の部屋に運ぼうとする。その現場を偶然、チェスター夫妻の忘れ物を届けに来たライダルが見てしまい、ついチェスターを手伝うことになる。そんなところを他の客にも見られてしまうが。
 チェスターはコレットを呼び、フロントにパスポートを置いたまま手荷物だけを持って、ライダルと共にホテルを逃げ出し、その夜はライダルのアパートに3人で寝る。ライダルは、チェスターにもヤバい過去があることを知るだろう。
 ある程度裏社会にも通じているライダルは知り合いにチェスターの偽造パスポートをつくらせ、偽造パスコートクレタ島に届けられるし、パスポートなくしてはアテネでの宿泊もむづかしいので、それまでクレタ島へ行くことにする。すでに新聞には殺された探偵の写真が掲載されていた。

 クレタ島に到着した3人は、その夜は下町の旅館に宿泊するが、夜も更けてコレットはライダルの部屋へ行き、それから気晴らしに盛り場へライダルと2人で抜け出す。夜中に起きたチェスターは、コレットがいないことに気づき、コレットとライダルは関係を持ったものと推測する(じっさいどうだったのかは、映画からはわからないが)。
 翌朝、3人はバスでクノッソス宮殿へ向かうが、すでに新聞にはチェスターとコレットの写真が大きく載っているのだった。コレットはバスの中で乗客が彼女の顔に気づいたと、バスの休憩所で飛び降りてしまう。3人はそのままひと気のない遺跡へ行って夜を過ごすが、その夜、遺跡の奥でチェスターはライダルを殺そうとして殴りかかる。ライダルは気を失って倒れるが、コレットはチェスターがライダルを殺したと責めてチェスターと揉み合う。遺跡の階段の上からコレットは落下して死んでしまい、ライダルはひとりで偽造パスポートを受け取りに逃走する。

 気がついたライダルがコレットの死体を認めて遺跡を出ると、遺跡見学の観光客らに姿を見られてしまう。彼はアテネ行きのフェリーでチェスターに追いつくが、今度はライダルもクノッソス神殿での殺人の犯人として捜査されている。チェスターは「二人は運命共同体だな」と語るが、じっさい、フェリーから降りるときに二人がいっしょのせいで疑われずに済む。
 アテネ空港で二人はフランクフルト行きのチケットを買おうとするが、ライダルのスキをみてチェスターはひとりでイスタンブール行きの航空機に乗ってしまう。ライダルはチェスターから謝礼として1万ドルをせしめる目的もあり、自分もイスタンブールへ行くのだった。さて‥‥。

 この映画のポイントは、この映画のしばらく前に亡くなったライダルの父というのが、どうやらチェスターに似ていたらしい、ということがある。ライダルは父の葬儀に出席せず、親族からそのことを批判する手紙を受け取っていて、実はチェスターはその手紙を読んでもいる。ライダルの中には父親に対して愛憎半ばする感情もあり、その感情に整理がついていないようでもある。
 それともちろん、このドラマでのチェスターとライダル、そしてコレットという3人での古典的な「三角関係」という問題もあるのだが、そこにライダルがチェスターのことを疑似的に父親像を見ているのではないか、ということが単純な「三角関係」の枠にはまり切らないところがあるだろう。

 わたしは昨日観た『底知れぬ愛の闇』で、ヒッチコック映画と比較して「ヒッチコック映画の脚本は素晴らしい」と書いたのだが、この『ギリシャに消えた嘘』では、監督は見事に互いの「疑惑」を積み上げる「ヒッチコックっぽい脚本」を書きあげ、トルコと美しいギリシャのロケの中に、そんな人間ドラマを溶け込ませることに成功していたと思う。敢えて「ヒッチコックっぽい演出」のことを言うなら、まずはアテネ空港でチェスターに逃げられたライダルを捉えて追うカメラの、その素晴らしい動きにあったと言えるのだろうか(この映画も、原作からは少し変えてあるようだ)。

 この映画にあるのは「犯人は誰なのか?」とか「犯罪が露見するのか?」とかいうような通常のミステリー/サスペンスではなく、2人の男、チェスターとライダルとのあいだの、依存する心と激しく反撥する心との「二面性」のサスペンスなのだと思う(タイトルの意味するところでもあろう)。この関係はライダルがチェスターの最初の犯罪を手伝ったところから始まり、あとはずっと映画の通奏低音の主題として継続し続ける。これはもう観ていても息がつまりそうでもあり、最後にチェスターが息絶えるとき、自らライダルの「父親」役を引き受けるところで素晴らしいカタルシスを生み、ライダルがチェスターの墓参りをするラストシーンで、わたしの目からは涙がこぼれ落ちたのだった。