ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『サボタージュ』(1936) アルフレッド・ヒッチコック:監督

 昨日、この『サボタージュ』も「国際陰謀」を扱った作品だと書いたけれども、観てみるとたしかに「陰謀」はあるのだけれども、それが国際的なものなのかどうかは、実は映画で描かれていた限りではわからないのだった。
 この映画にも原作があり、それはジョセフ・コンラッドの『密偵』なのだが、その原題は「The Secret Agent」。これが昨日観た『間諜最後の日』の映画の原題が「Secret Agent」なわけだからややっこしい。ただ、『間諜最後の日』のシークレット・エージェントはイギリスのために働いた人物のことだったが、この映画の原作の『密偵』ではシークレット・エージェントは「国際陰謀(犯罪)組織」のメンバーのことで、その政治的背景は原作でははっきりと「アナーキスト」と書かれていたようだ。しかしこの映画ではそのような犯罪者の背景はまるで描かれていない。そのことを「欠落」のように書いた批評もあったようだけれども、わたしはそういうことがわからなくてもこの映画は楽しめた。この映画の脚本はまたもチャールズ・ベネットであった。

 身分を隠して犯罪者を追う刑事の姿も描かれるが、むしろこの映画のスポットは犯罪者と、夫が犯罪者だと知らなかったその妻の方にあてられている。
 その犯罪者ヴァーロックを演じたのはオスカー・ホモルカという人で、この人もナチスの台頭でオーストリアからイギリスに渡った人で、後もハリウッドで『戦争と平和』や『七年目の浮気』などにも出演した。ヒッチコックは最初この役をペーター・ローレで考えたらしいが、前作『間諜最後の日』で彼を使いあぐねたので、このオスカー・ホモルカにしたという。
 妻を演じたのがシルヴィア・シドニーで、この人も長く活躍されたのだったが、遺作はティム・バートンの『マーズ・アタック!』で、あの可愛らしいおばあちゃんを演じていた。

 ヴァーロックはロンドンで映画館を経営しているが、その影で犯罪組織に加わっていて、まずは発電所を襲ってロンドン中を停電させたのだった。
 ヴァーロック夫人はもちろん夫の素性は知らないのだが、いっしょに暮している夫人の弟のスティーヴィーの面倒もみてくれるので信頼している。
 映画館のとなりに八百屋があるのだが、今その八百屋の店員に扮しているのはスコットランド・ヤードの巡査部長のテッドで、「ヴァーロックが怪しい」と監視しているのだ。

 ヴァーロックは水族館へ出かけ、魚の泳ぐ水槽の前で組織の上司と落ち合い、次の指令を受ける。それは地下鉄ピカデリー・サーカス駅に時限爆弾を仕掛けて爆発させることだった。爆弾はやはりロンドンで小鳥屋を営む仲間から、鳥かごの下に入れて届けられる。爆弾は土曜日の1時45分に爆発するようセットされ、ヴァーロックは1時までに別の仲間に爆弾を渡す手はずである。
 一方、ヴァーロックが留守のあいだにテッドはヴァーロック夫人とスティーヴィーを食事に誘い、夫人がヴァーロックの計画を知っているのか探ろうとするがわからず、ただヴァーロック夫人を愛することになるのだった。

 土曜日当日、ヴァーロックは届いた爆弾を持って家を出ようとするが、映画館の前でテッドが見張っているので出られない。代わりにスティーヴィーに映画フィルムといっしょに爆弾を渡し、「1時までに返してくれ」と頼む。
 しかしスティーヴィーは途中で寄り道してしまい、ヴァーロックに言われていた時間から大幅に遅れてしまう。何とか間に合わせようとバスに乗るが、途中でバスの中で爆弾は爆発してスティーヴィーや乗客らは爆死する。

 バスで爆発があってスティーヴィーが死んだことを知ったヴァーロック夫人は、テッドから聞いていた話から、ヴァーロックこそがスティーヴィーに爆弾を持たせたのだと悟る。
 詰め寄る夫人に、ヴァーロックは「警察やテッドがいたから自分で爆弾を持って出られなかった。スティーヴィーが死んだのは警察やテッドのせいだ」と言う。夫人は堪忍ならず、テーブルの上のナイフで夫を刺し殺してしまう。
 テッドはバス爆発はヴァーロックの犯行との確信を得てヴァーロックの家へ行くが、それは夫人がヴァーロックを刺したあとだった。テッドは夫人に「いっしょに国外へ逃げよう」と言い、家を出る。

 一方、爆弾をつくった小鳥屋は、ヴァーロックのところから証拠を回収するためにヴァーロックの家に行くが、警察もまた小鳥屋を追っていて、映画館の前でテッドと夫人に出会う。小鳥屋がヴァーロックの家へ行くとヴァーロックは』刺されて死んでいて、外には警官がいるのがわかった。小鳥屋はそのとき持っていた爆弾で自爆するのだった。ヴァーロックを殺したのが夫人だとは、もうわからなくなったのだった。

 冒頭から、スムースな演出で緊張感を維持しながらスリリングに劇が進行し、飽きることがない。前半ではヴァーロックという人物のかもし出す「不穏」な感覚が不気味で、ここに「小鳥のショップ」や「水族館」など、犯罪と無関係そうな場が犯罪の「下準備」の場とされることで、よけいに「不穏」さが増長されるようでもあった。

 また、爆破の予定時間が迫って、自分では出られないヴァーロックが、スティーヴィーに早く出発させようとイライラしている様子もまた、ヴァーロックの焦りをより強く感じさせられる。さらにそのあとは、ついつい寄り道してしまうスティーヴィーと時計とを交互に見せ、爆発時間が迫っていることをいやおうもなく観客にも知らせる。観客(わたし)としては「無垢な少年」のスティーヴィーはまさか死ぬことはないだろうと思いながら観ていたのだが、それなのにバスが爆破されたのはいささかショックだった。

 このスティーヴィーの死が夫人の強い悲しみとなり、夫の自己弁護ばかりの弁解に、悲しみは怒りと変わる。このときの夫人の心理状態をセリフなしに伝える演出も、見事なものだった。
 しかし、「実は人を殺めた」女性がその後の展開で罪を問われることがなくなり、男といっしょになるというのは、『恐喝(ゆすり)』と同じだな、とは思うのだった。

 この作品は高評価で、イギリスのデイリー・テレグラフ紙の選んだ「史上最高の英国映画100本」では第3位にランクされているという。また、ニューヨークの「ハリソンズ・リポート」という映画業界誌はこの作品を「スリリングなメロドラマ」と書き、「ヒッチコックの個性的な天才性が、独特で独創的な演出で非常にはっきりと示されている」と評したという。また、前回『間諜最後の日』を酷評したグレアム・グリーン氏は、「この『サボタージュ』で初めて(ヒッチコックが)本当に『抜け出した』」と賛辞を贈ったというが、ただし刑事のテッド役の俳優は「説得力がない」とした。このことはヒッチコックもわかっていたようで、撮影中に彼に合わせて脚本を書き直したりもしたらしい。

 さて、今日のヒッチコックは「傑作」だったので、明日観るヒッチコックはダメかもしれないな。