ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『水族館の歴史 海が室内にやってきた』 べアント・ブルンナー:著 山川純子:訳

 作者のベアント・ブルンナーはベルリン出身のノンフィクション作家で、この本はドイツ版原書「Wie das Meer nach Haus kam」(2003)からの英訳「The Ocean at Home」からの重訳。ドイツ語はわたしはわからないけれども、パソコンに訳してもらうと「海はどうやって帰ってきたのか」みたいな意味だという。そうすると英語タイトルの「わが家の海」というニュアンスとはちょっと違う。
 日本タイトルは「水族館の歴史」で、これはかなり誤解されそうなタイトルだ。じっさい、「水族館」のことが書かれた章もあるけれども、この本に書かれているのは「いかにして<海>は家庭に持ち込まれたか?」というような内容だろうか。つまりこの本は、今でいえば家庭内での「熱帯魚飼育装置」のようなものの歴史を探る本ではある。著者の「プロローグ」から引用すれば、「海を室内に再現した科学者や発明家、熱狂的愛好者たちの思いについて考察していきたい」という本なのである。

 この本で書かれているのは、主に1850年から約50年間の「水生動物」の家庭飼育の歴史、というのがいちばん内容に近いだろうか。そしてその歴史は、思い寄らずにたいへんに興味深くも面白いものだった。その「面白さ」は、この本に豊富に掲載された図版(一部はカラー)の魅力によるものだろうと思う。

 まず、海が恐怖の暗黒世界であった「大航海時代」を過ぎて、船による航海が安定すると、海の生きものへの探求心も大きくなった。そもそも、海の底は「暗黒」で、いかなる生物も棲息してはいないだろうと思われていたのが、1850年代に何千メートルもの電信用海底ケーブルが敷設され、そのケーブルがメンテナンスのために1500メートルを超える深さから引き揚げられたとき、思いがけずもさまざまな「見たこともない」生物も引き揚げられてきたのだった。このことは、科学者らの海底の生物への興味に一気に火をつけた。
 まずは「海の底をダイレクトに見てみよう」ということからの、「潜水しての観察」という動きが出て来るが、それはこの本の主題からは離れている。

 ヨーロッパには、ルネサンス時代からさまざまな奇怪な標本をコレクション・展示する動きが綿々と続いていたわけだが、その中から19世紀になって貝殻の蒐集から海岸でさまざまなモノを拾い集める趣味が始まり、なんとイギリスでは「シダ」を蒐集することが流行し、これが熱帯地方から(枯れないように)ガラスケースに入れられたシダが輸入されるようになったという。こうなるともう、そのガラスケースに魚を入れればいいわけだ。
 その前提に、ヨーロッパでは日本から輸入された「金魚」を飼うことが流行し、18世紀末にはかなりヨーロッパ中に広まる趣味になっていた。

 ま、金魚のような「淡水魚」はともかく、海で獲れた魚類は水槽内ではすぐに死んでしまい、「どうすれば飼育できるか」というのが課題だった。
 それをまず解決したのがフランスのジャネット・ポウェルという科学者で、彼女は「海水を循環させる」ケージを自ら作成し、アオイガイを飼育した。1858年、大英博物館館長のリチャード・オーウェンは、「アクアリウム」の発明者はジャネット・ポウェルであると述べた。
 ここから、多くの人が水槽内で海水を循環させる方法を開発し、海藻やイソギンチャク、サンゴなどを飼育するようになった。
 また、「淡水」ではあるが、水槽の中に水草セキショウモと二匹の金魚を入れ、さらに大小のタニシを加えると、そこで容器内の生物らは「酸素を吸収して二酸化炭素を排出する」金魚、「二酸化炭素を吸収し、光合成で酸素を排出する」セキショウモ、そして小さなタニシは金魚のエサとなり、容器内の寄生性の藻を食べることになり、「水槽の中で自己完結する」永久機関がつくられもした。

 さてここにもうひとりの偉人、フィリップ・ヘンリー・ゴスという人物が登場し、『アクアリウム』(1854)という美しい挿画を満載した書物を刊行する。
 この書物はさまざまな海の生物の生態を挿画と共に紹介し、さらに「家庭の水槽でそれらの生物を飼育する方法」を絵解きして、「一般家庭の水槽で海の生物を飼育する」大きなブームを生み出すのであった。

 しかし、このために水槽を循環させる「海水」を入手するのはなかなかに大変で、当時は「海水を運搬・販売する」業者も登場したという。
 ドイツではアドルフ・ロスメスラーという人物が、「淡水」でフィリップ・ヘンリー・ゴスのような飼育法を確立させた。これは簡単に入手できる「淡水」での飼育法だけに、これまた多くの飼育者を生み出した。今行われている「熱帯魚」の飼育は、このロスメスラーの方法の延長にあるのだろうか。

 これ以降は「ガラス板」が安価で入手できるようになったり、さまざまな改良も加えられる歴史となり、ついに19世紀末に各大都市で開催された「万国博覧会」などにおいて、今で言う「水族館」に匹敵する、規模の大きな、大勢で鑑賞できるスポットが建設されることになるのだった。

 しかしブームが拡がると、海岸地方では海岸が荒らされるし、サンゴ礁も被害を被るなどの弊害も生まれることになった。
 この本の末尾で、著者のブルンナーはそんな「水族館」~「家庭用アクアリウム」の増加に伴う弊害に警鐘を鳴らしている。世界では200万人もの人が「海水アクアリウム」を所有しているといい、アメリカでは「魚」は「ネコ」に次いで二番目に多い「ペット」なのだという(犬よりも多いのだ)。そのために主に南太平洋から魚類が取引され、例えばスリランカでは5万人が海洋生物の輸出に従事しているという。海からの「商品」が世界中に運ばれるところには、採集業者、卸売業者、仲介業者、輸出業者、輸入業者が関わっているわけで、例えば乱獲によって稀少になった生物を追って、さらに奥地へと「漁師」の手が伸びることは、地上の動物と変わるところはない。特にサンゴ礁へのダメージは大きなものがある。
 ブルンナーはこれらのことから「水生動物の採取」か「環境の保護」かという二者択一ではなく、この悪循環を断つためには漁師も生活でき、サンゴ礁の保護もできる方法を考えるべきだろうと書いている。

 ある面で「動物園の発展、巨大化」や、「希少動物・絶滅危惧動物をペットにする動き」の海洋版のようなところもあるが、「水生動物」を死なせずに飼育する方策を探った過去の人たちの実験精神、彼らが創作したさまざまな器具について読むことは、やはり楽しいことではあった。

 ウチにはこの著者の書いた『月』についての本もあり、過去に読んだ本だがもう何も憶えていないので、次はその『月 人との豊かなかかわりの歴史』を読んでみようと思う。