ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-04-25(Tue)

 夜中にトイレに行きたくなって目覚めると、わたしの左わきにニェネントくんがしっかり、丸くなって並んで寝ていた。
 わたしがトイレに行くとニェネントくんもベッドから降りてしまうのだけれども、それでわたしがベッドに戻るとしばらくして、ニェネントくんもわたしの上に跳び乗って来て、またわたしの左わきでわたしと並んで寝るのであった。ただ、朝になってわたしが目覚めるときには、もうニェネントくんはキャットタワーの上に引っ越していて、わたしのことを「早く起きてごはんを出してくれないかなあ~」と見つめているのであった。

 内科クリニックから処方されている一ヶ月分の内服薬がもうなくなったので、今日は内科クリニックへ行って簡単な問診と胸の聴診を受け、処方箋を出してもらう。そのあと北のスーパーへ行って買い物をする予定。
 前回は診療の始まる朝の9時に行ったらばもうおおぜいの人が先に来ていて、けっきょく1時間も待ってしまったので「今日はもっと早く行ってみよう」と、8時40分ぐらいにクリニックへ行ってみた。どうやらわたしが「一番乗り」のようで、まだ誰もいない。さすがに早すぎたかと思ったが、クリニックの方がエントランスを開けるとき、「昨日はおおぜい並んでたんですよ」ということだった。
 医師先生に「禁煙の方はその後どうですか?」と聞かれたが、胸を張って「もう二ヶ月禁煙しています」と答えた。じっさい今ではもうタバコの味が思い出せないし、またタバコを喫いたいなどとは思わないのだ。ただ、「ネオシーダー」は喫いたいと思うので、ある意味「ダメじゃん!」というところはあると思う。医師先生に「ネオシーダーというのは喫っている」と言ったら、先生はネオシーダーのことは知らなかった。「でも、タバコを止められるのならいいじゃないですか」と言われた。

 診察を終えて調剤薬局で内服薬を出してもらっても、時間はちょうど9時。こ~んなに早く通院が終わったこともない。
 次はスーパーへ買い物に行くが、この日は火曜日だから「2000円以上買い物すると玉子が158円よ!」という日。もう今では「玉子158円」などというと「何て安いんだ!」って感じになってしまった。
 この日はニェネントくん用の「ネコ砂」とか「ネコ缶」×2とか買うと、それだけで1000円は軽く超えてしまう。あとは自分用の食品とかおつまみをカートに入れて行くと、軽く2000円は超えてしまうのだ。

 スーパーの帰りに、道沿いのツバメの巣をのぞいてみたが、先週「新しく巣をつくってるんだな」と思ったところの巣は、どうも親ツバメは巣づくりを放棄してしまったようで、その後の工事の進行は見られないのだった。
 でも、その先の学習塾の軒下の巣には親ツバメのおしりが覗いて見えて、ここではしっかり巣ごもりしているようだった。

     

 テレビを見ていると、あの「おすぎとピーコ」が、2人ともが別々の老人介護施設に入所していて、つまり「認知症」の兆しがあるということだった。
 まあこのことはしばらく前にピーコが「万引き」常習で捕まったりして、住んでいたマンションから行方不明になっているなどという報道も読んでいたのだけれども、この時期にはブルース・ウィリスもまた「失語症」から「認知症」と診断されたとの報道もあったし、気にかかるニュースではあった。

 わたしも「側頭葉てんかん」の発作を起こすとそれまでの記憶の多くを失ってしまうところがあり、医師から「認知症?」と診断されもしているので他人ごとではない。おすぎとピーコはわたしよりずっと年上だけれども、ブルース・ウィリスはまったく同世代ではある。
 わたしは「記憶をなくしている」といっても、その「記憶」は「エピソード記憶」と分類されるものにまだ限定されていて、例えば日常の生活では(てんかんの発作を起こさない限り)支障はないというか、ひとりで生活するのに不自由というものではないし、そのことを確認するためにもずっとこの日記を書いてもいるのだけれども、「知的な分野」で活動されていたと思われる「おすぎとピーコ」のお二人や、俳優としてまだまだ活躍されていたブルース・ウィリスなどが「認知症」になってしまうというのは、ちょびっとショックなのではある。
 「認知症」の当人は、もう自分が「認知症」だなどとは認識出来なくなってしまうわけだろう。そんなときにその人が「日記」を書き続けようとしたならば、いったいどんな「日記」を書くのだろうか。

 ‥‥ということは置いておいて、今日は夕方から昨日の続きでシュヴァンクマイエルの『アリス』を観たのだった。
 わたしは古い記憶は残っているので、このルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』はそれなりに記憶していて、このシュヴァンクマイエルの『アリス』はルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の根本の展開は忠実になぞっていると思ったのだが、ネット上で人々のこの『アリス』の感想を読んでみると、あまりに多くの人がルイス・キャロルを読んでいないことに驚いたし、読んでいても、このシュヴァンクマイエルの『アリス』がルイス・キャロルと「別モノ」だという人が多いのにたまげた。どうやらまだわたしは「認知症」には距離があるようだと思う。