ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ミュンヘン』(2005) ヤヌス・カミンスキー:撮影 スティーヴン・スピルバーグ:監督

 ミュンヘン・オリンピックでイスラエル選手ら11人がパレスチナのテロ組織「黒い九月」に拉致され、救出計画の失敗からイスラエル選手らも「黒い九月」メンバーも全員死亡するという悲惨な事件を受け、イスラエル諜報機関モサド」は現場の人間ではなかったアヴナー(エリック・バナ)をリーダーに計5人のメンバーを選び、事件の首謀者「黒い九月」幹部ら11人の暗殺を任せる。
 アヴナーには臨月の妻もあったのだが、「モサド」はそういう背景も含めてアヴナーを選んだのだろうか。アヴナーは「モサド」やイスラエル政府との関係は断ち切られ、資金はスイス銀行の貸金庫で支給される。

 ヨーロッパに渡ったアヴナーは直に「ルイ」(マチュー・アマルリック)という情報屋を見つけ、ほぼすべての暗殺対象者を「ルイ」の情報で突き止め、暗殺して行く。
 「ルイ」の背後にはもちろん「ファミリー」というべき組織があるのだが、アヴナーには「自分らは国家のためには情報は出さない。あなたに情報を出すのは金払いがいいからだ」と言うのだが、しかしどこまで信用していいのか(もっと金払いがいい組織があればすぐにアヴナーらを裏切るのではないのか?)。
 じっさい、あるPLO幹部暗殺のとき、「ルイ」に紹介された「安全だ」というボロアパートの一室に、夜中にPLOの若者グループが不意に訪れる。彼らも「ルイ」にその場所を紹介されていて、これは「ルイ」の悪意というか、アヴナーらに仕掛けたテストだったのだろうか。
 「ルイ」だけが怪しいのではなく、すでに2~3人の暗殺を遂行したあとであれば、「黒い九月」、PLO側でもアヴナーらのことを当然探っているわけだろう。また、暗殺に絡んで襲ってしまったKGBの存在もある。
 ホテルのバーでアヴナーが客の魅力的な女性の「ハニートラップ」にかかりそうになって逃れるが、アヴナーの仲間の一人はひっかかって犠牲になってしまう。「ルイ」は「その女はオランダの女で、金で動くだけの人物で背後関係はない」というが、ある意味、「ルイ」が仕込んだと否定出来るわけでもない。また、アヴナーのグループの「爆薬製造」担当者も爆薬の誤爆で死ぬが、これも誰かが仕込んだものかもしれない。
 「ルイ」は、この件にはCIAも絡んでアヴナーを妨害していると言い、アヴナーの追ういちばんの大物「サラメ」を「あと一歩」まで追ったとき、酔っ払いを装った男らに邪魔されるが、どうもその男らはCIAだったとも思える。
 「ここまで」と作戦を中止しイスラエルに帰国するアヴナーは、上司に以後「モサド」との関係を完全に断ちたいと申し伝え、先にニューヨークへ行かせていた妻と、生まれた子供のところへと行くのだった。

 話はここで終わりではなく、アヴナーは「自分が誰かに尾行されている」と思うことになるし、脳裏にはミュンヘンで殺されたイスラエル選手らのイメージが焼き付いている。
 ラストには妻とのセックスのとき、その絶頂のとき、アヴナーの脳裏にはやはり殺されたイスラエル選手らのことが浮かんでいるのではあった。

 つらい映画で、これが秘密組織「モサド」によるスパイの暗躍する映画だとか思って観ると「大きなまちがい」で、背後にはイスラエルパレスチナとの長い長い問題がある。
 いちおうこの映画の主人公のアヴナーはイスラエル生まれのユダヤ人で、しかもどうやら彼の父親は「イスラエル建国の父」なのかどうか、国家的な英雄でもあるらしい。彼がさいしょに呼び出されるときには当時のイスラエル首相のゴルダ・メイアも同席していて「あなたのお父さんのことはよく記憶している」などと語るのだ。
 そんな、ある意味で「重要人物」のアヴナーをなんでこの作戦のリーダーにしたのかがひとつ「謎」ではあるけれども、それまで「事務職」っぽい部署にいただけだし、既婚者でその妻も「臨月」だということが、敵に「誰がリーダーなのか」ということが悟られないということもあっただろうし、彼にイスラエルという国への「忠誠心」も期待出来ると踏んだのかもしれない。
 ある意味でさいしょっから彼の人格というものは期待されてはいないようだし、「ルイ」にしてもそのあたりは同じで、アヴナーは「金払いのいい」人間に過ぎないか。ただ、アヴナーが任務を離脱してニューヨークへ行って「自分が追われている」と思ったとき、やはり「ルイ」のファミリーを疑い、「ルイ」のファミリーの「パパ」に公衆電話から電話するのだが、「パパ」は自分のファミリーはあなたを追ってはいないとは語る。わたしはこの言葉は信じていいようには思った。
 しかし、ラストの「悪夢のような」セックスは、「こんなセックスシーンを描いていいものだろうか?」ともいう感じで、記憶からぬぐいにくいシーンではあった。映画すべてを含めて、大きな「悲劇」ではあったのだろう。

 ある登場人物が映画の中で、アヴナーに語った言葉がちょっと強烈で、この映画の「背後」にはこういう思考こそが大きな川のように流れているのだろうかとは思った。

 「世界は君の一族に非情なことをして来た。非情な答えを返す権利はある。」