ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『君の名は。』(2016) 新海誠:脚本・監督

 物語は『転校生』のように高校生の二人、男の子と女の子との「入れ替わり」からの展開を見せるのだけれども、別に二人がぶっつかって階段から転げ落ちて入れ替わるのではなく、朝目覚めると入れ替わってしまっているわけで、これがまた翌朝になると元に戻ったり、しばらく「入れ替わり」を繰り返す。男の子のタキと女の子のミツハとはまったく見知らぬ同士で、タキが住むのは東京、ミツハはどうやら飛騨の神社の巫女をつとめ、家では組み紐もつくっている。
 そういう、けっこう渋いディテールを持つ作品というか、ミツハにはそういう地方の伝統文化のバックボーンがあるし、この作品のテーマというか、「君は誰?」ということも、ミツハの学校での古文の授業で「万葉集」の中で教えられる歌からも来ているのだ。

 誰そ彼と 我をな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つ我を

 この歌での「誰そ彼」ということばが「たそがれ」となることが説明されるのだが、まさにこの歌の意味が、「わたしは露に濡れながらもあなたのことを待っている。そんなわたしを、あなた誰?などと聞かないでほしい」というものであって、けっこうこの作品の内容にリンクしてくるだろうか。いや、この作品はつまり「あなたは誰?」という問いかけに向かってしまう男女の物語で、それがラストの階段のすれ違いの感動を呼ぶ(ここで「階段」ということは、『転校生』のことを意識しているのかしらん)。

 わたしはこの作品はしっかり「東日本大震災」とリンクした内容なのかと思っていたのだけれども、そうではなくってあの「惨事」を、架空の大彗星の破片がミツハの住む集落に落下して惨事を招くということに置き換え、このことが「入れ替わり」で3年の期間をタイムラグとしてジャンプしていた二人の、タキが「まだ3年前の過去にあるミツハの未来を知る」というかたちになり、何とか惨事の被害を最小限に収めようと尽力することがこの映画のテーマにもなっていた。
 このことは、「自分が入れ替わったのはミツハという少女に違いない」とタキが調べ始めたとき、この小惑星落下の惨事で亡くなった犠牲者が五千人とされ、その中にミツハの名前も含まれていたのだけれども、タキが来るべき惨事を現地に知らせた結果、ミツハはそのあとも生きていたわけだし、この惨事の犠牲者も「五百人」までに減っている。つまりこのドラマ、SFとして「未来を変える」作品でもあったわけだ。

 けっこうドラマチックないい話だなと思いながら観ていたけれども、わたしはこの作品の作画を全面的に支持するわけではない。はっきり言ってこういう絵、特に人物の描写はあんまし好きではなくって、そういうのでは宮崎駿氏の絵の方が違和感なしに好きだ。ただ、この作品でも背景となる風景(特に東京)の「光」の描写とか、青い空の描写とかは好きではある。
 わたしはこういう作品であれば、けっこう容易く「実写作品」としてリメイク出来るような気がするのだけれども、特にタキやミツハ、そして彼や彼女の友人・家族たちを、リアルな人間の姿として観てみたい、という気もちも強いな。