ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『消しゴム』(1953) アラン・ロブ=グリエ:著 中条省平:訳

 アラン・ロブ=グリエの作家としてのデビュー作にして、「ヌーヴォー・ロマン」の登場を告げることになる作品。発表は1953年である。
 わたしはロブ=グリエの映画こそ観ているが、小説を読むのはこの『消しゴム』が初体験。そもそも「ヌーヴォー・ロマン」というものとは無縁の読書歴で、まあ大昔にミシェル・ビュトールの『時間割』を読んだという記憶はあるけれども、その内容はこれっぽっちも記憶してはいない。

 それでまあ、彼の映画を観てけっこう面白かったこともあって、「では彼の書いた小説も読んでみよう」というわけで、この『消しゴム』に手を出した次第。

 ‥‥読んだ結果をいうと、これはとっても面白かった。翻訳者の中条省平の「あとがき」を読むと、この作品はギリシャ悲劇の『オウィディウス王』に大きな影響を受けており、『オウィディウス王』からの引用、ほのめかしもちりばめられているらしい。
 で、わたしはそういう『オウィディウス王』のことなどまったく解らずに読んだのだけれども、わたし的にはこの小説、ひとつには「推理小説のパロディ」みたいな感じで読み、そのことで大そう面白くもあったのだ。

 そしてこの小説、主人公は舞台となる町に派遣されてきた捜査官のヴァラスという男だと思うのだが、そのヴァラスがとにかくは、その彼には見知らぬ町をいつまでもさまようのである。そういう、「運河」があって「旋回橋」がある道を、市役所や郵便局、そして病院を目指して歩きつづけるのである。時間が朝早すぎたのでどこもまだ閉まっているから、時間つぶしもあってヴァラスは歩く、歩く。けっきょく「旋回橋」のところには何度も逆戻りしてくるし、目的地へ行く道に「文房具店」があるとつい入ってしまい、つい「消しゴム」を探していると店員に告げるのである。

 小説はそんなヴァラスだけの視点で書かれるのではなく、ヴァラスが捜査する「殺人事件」とされる事件の犯人、そして被害者である教授らの視点も入ってくる。
 登場人物らの内面というかその思考も書かれるのだが、それ以上に特にヴァラスの場合、彼が歩く道のひたすら客観的な描写がつづく。この客観描写が「俯瞰描写」のようにフラットで無機質で、これがどうしてもロブ=グリエが脚本を書いた『去年マリエンバートで』での「モノローグ」のことが思い出されてしまうのだった。

 じっさい、先にこの小説を「推理小説のパロディ」と書いたけれども、主人公のヴァラスは事件を捜査するために派遣されてきた捜査官だが、彼を派遣したのは内閣の人間で、その「事件」に対する思惑を持っている。一方その事件の起きた町の警察署長はヴァラスとも会うのだが、彼もまた「事件」に対する別の見方をしている。
 「事件」とはデュポンという教授が自宅で侵入してきた賊に襲われて射殺された、というものなのだが、その犯人も登場してきて、彼はある男の命令でデュポン教授を襲おうとするのだが、その手順を間違えてしまい、彼の撃った銃弾はデュポン教授に軽傷を負わせるにとどまったようだ。
 つまり「事件」は「未遂」だったのではないかということだが、なぜかヴァラスは「殺人事件」と聞いている。ヴァラスは撃たれたデュポン教授を診た医師のジュアールにも会わねばならないが、とにかくはデュポン教授の死体はどこにもないようだ。ヴァラスはヴァラスで、その事件の真相を推理もする。しかしこの「事件」はまだ終わっていなくって、ヴァラス自身がその「事件」の中で重要な役割を果たすことになることを彼は知らない。
 小説は、ヴァラスがその町を訪れた夜の7時半にまた「殺人」が起きるだろうという「予感」で先に進む。

 実はわたしはけっこうこの小説の細かい内容を忘れてしまっていて、書いていることの中に誤っていることも含まれていると思うが、読み終わった今となっては、そういう「わたしの記憶違い」もまた、この小説の「中身」としていっしょに飲み込まれてしまうだろう。
 ま、ある意味でこの小説ではそんな「謎を解く」ことなんてどうでもよくって、読んでいると登場人物は誰一人として「真実」を知っていたわけではないと思えるし、ラストにしても、誰も自分のやっていることの意味を知ってはいないのだ。
 とにかくは登場する人物らの思考にそれぞれ相反するところがあり、わたしは読んでいる途中で「この人物はどういう考えの人物だったか、メモでも取りながら読んだ方が良かったな」などと思うのだった。

 例えばナボコフの作品にも、読者に謎をかける「推理小説」のような要素があるものが多いわけで(結果として「推理小説」などではないのだが)、そんな読み方の延長で、このロブ=グリエの小説を楽しく、面白く読んだわけだった。先に書いたように読み終えて内容を忘れてしまったままのところもあるわけで、近いうちにきっと、また再読してみたい。