ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ジュラシック・ワールド』(2015) コリン・トレヴォロウ:監督

 『ジュラシック・パークIII』から14年、あのときは孤島のジャングルと廃墟の中で恐竜たちがもう勝手に生育していただけだったのが、その場所は今「ジュラシック・ワールド」として再生され、一大観光施設として一般観客を呼び込むまでになっているという。
 そこで新たな客、またはリピート客を呼び込むため、DNA遺伝子操作で、ジュラ紀に存在したわけではない「新種」の最強の恐竜「インドミナス・レックス」というのを人力で生み出し、隔離した防壁の中でまさに一般に公開しようとしている。パークの運営責任者のクレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)は、ヴェロキラプトルのショーを観客に見せる調教師のオーウェン・グレイディ(クリス・プラット)を呼び、インドミナス・レックス公開のための防壁のチェックを行おうとしている(このあたり、第一作での「チェック」を思い出させられる)。そんなとき、クレアの二人の甥がパークの観光にやって来るわけだ。
 誰でも予測するように、インドミナス・レックスは(ハイブリッドの知性・特性を使って)防壁を突破して外に出てしまう。インドミナス・レックスがただちに観客を襲うわけではないが、翼竜プテラノドンの檻が破られ、ツアーを中止して退避を待っている一般観客をプテラノドンが襲い、大パニックになる。
 一方、ツアー客からはぐれたクレアの甥ふたりと、クレア、そしてオーウェンとは、インドミナス・レックスやその他の恐竜に追われているわけだ。ここで、オーウェンに調教されたヴェロキラプトルがインドミナスに立ち向かうってよ。そういう話。

 この映画に関して「疑問」に感じることはあまりに多い。まずはそのインドミナス・レックスだかが脱出しちゃって暴れ出すまでに、いちおう人間たちの織り成すドラマが展開されるわけだけれども、はっきり言って、ここまでに演出の惨い・酷い映画というのは今まで観たことがないかもしれない。カット割りも始終おかしいし、脚本のせいもあるだろうが、映画の流れからまったく不要なセリフが唐突に語られたりし、けっきょくそんな不要なセリフが回収されるわけでもない(こういうのではないけれども一つの例:兄「マッチ持ってる?」弟「うん」と差し出す。21世紀の今、どこの子どもが「マッチ箱」を持ち歩いてるっちゅうねん!)。
 そして、この映画が描く「精神」の問題にもなるが、まるっきし今の水族館の「イルカショー」のごとくの「ヴェロキラプトル・ショー」。そこでヴェロキラプトルらが調教師に心を通わせ、調教師を助けようとするような描写は、つまりは水族館や動物園での「ショー」は調教師と動物との「交流」として肯定し、そのような水族館や動物園での「ショー」を肯定している。
 現実問題、そのような「ショー」で演技する動物らは、そのような演技をしなければ「食事」を得られないから嫌々やっているにすぎず、ここでの動物と調教師との「心の交流」などというのはでっち上げられた「幻想」にすぎず、そのことを肯定的に描くこの作品は「欺瞞」に満ちていると言うしかない。このことだけでもこの作品は「唾棄すべき」映画であるように、わたしには思える。
 もちろんこの映画は「遺伝子操作」により「存在し得ない」動物をクリエイトすることへの批判があることは承知しているが、同時にこの映画の脚本であれば、「既存の動物園・水族館」(特にそこで行われる見世物的な「ショー」)への批判であってもいいはずである。「ハイブリットな動物を兵器化する」以前の問題だと思う。
 また、このシリーズでは、登場人物の「バカげた行為」による混乱というのは「定番」になっているわけだが、登場する二人の甥は、救出されるまでに3~4回は死んでいるはずであろう。っつうか、あのクソおやじがヴィンセント・ドノフリオだったとは、さいごのエンドロールを見るまで気づかなかった。まあ「クソ」な役の多い方ではあられるけれども、好きな俳優さんです。

 ‥‥てなことを言いながらも、わたしも中盤から終盤への恐竜たちの跋扈ぶり、闘争ぶりは楽しんで観たわけだが(怪獣ファンだからいたしかたない)、プテラノドンになぶり殺されてしまう、ふたりの甥の面倒をみるはずの女性はあんまりにもかわいそうだった。
 意外なところでモササウルスが登場しておどろき(わたしは小学生の頃は恐竜ファンでもあったから、モササウルスのことは知っている)、「え~、モササウルスはこ~んなに大きいの?」って思ったが、調べるとけっこうこのくらいの大きさはあったようだ。あと、完全に「ファンタジー」なのは、プテラノドンが人間を持ち上げてしまうというあたりの描写で、まあこれは『ジュラシック・パークIII』でもやられていたことだからしょうがない。

 今まで4本の『ジュラシック』シリーズを観たわけだけれども、はたしてこの作品と第二作の『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』とでどっちが「最悪」か、ということでは思い悩むが、ちょっとばかり(その「世界観」よりも「演出力」において)この『ジュラシック・ワールド』の方が「うわて」ではないかという気はする(以後の『炎の王国』とか『新たなる支配者』はもっと上だ、という話も聞くが)。