ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『カフカ「変身」』(2016) フランツ・カフカ:原作 クリス・スワントン:脚本・監督

カフカ「変身」 [DVD]

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  • エイリーク・バー
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 Wikipediaで読むと、カフカはマックス・ブロートらの前でこの作品を朗読するときに笑みを絶やさず、時に吹き出しながら読んだという。また、この本が1915年に出版されたとき、その文字の大きさや版面のせいで作品が暗く、切迫して見えることに不満を抱いていたという。
 そのせいなのかどうか、カフカの名が一般に知られたあとも、特にこの『変身』は「実存主義」の先駆、不条理文学として「深刻」に読まれることが無意識に求められて来たところがあると思う。だから読みながら笑ってはいけなかったか。

 ある朝目覚めると「巨大な虫」に変身していたというグレゴール・ザムザは、当時自分の存在の理由にあれこれと疑問を感じていたらしいフランツ・カフカの「自虐的な自画像」というところはあったと思う。彼はこの作品で、自分自身を笑いものにしてもいただろうか。
 しかしカフカはこの作品の出版にあたり、表紙なり挿画なりに「昆虫そのものを描いてはならない」と伝えていたという。そういう意味ではこのクリス・スワントンによる映画化は、ザムザをまさしく「虫」として描いていることで、「カフカの意志」を無視していることにはなるだろう(このDVDジャケットの、複眼を持った蠅のような「虫」は、作品中のグレゴールが変身した「虫」とは全然異なるモノである)。

 クリス・スワントンという人は俳優として活動されている人物らしいのだが、この「変身」を愛するあまり、自分で映画化することになったらしい。映画化にあたって舞台をイギリス(だろう)に移し、出演者は英語をしゃべっている。
 この映画のストーリーは基本、逐一カフカの原作に従っているのだが(ラストだけはちょびっと違う)、その中で原作の中の滑稽さもまた、きちんと演出している。特にザムザ家が置いた三人の下宿人の動作は滑稽なのだが、これはカフカの『城』などに出て来る二人の「助手」の滑稽さに通じるものではあるだろう。

 この作品でグレゴールは、特に妹には自分の気もちは理解してもらいたいと思い、その気もちが妹の行動で裏切られるさまは哀れを誘う。そんな妹を含め、父親、母親を演じる役者らはしっかりとグレゴールとの「距離感」をあらわす演技だったというか、この「ザムザ家」の中の構造をしっかりと示してくれるモノだったと思う。
 グレゴールの容姿は、そこまで「リアル」な「虫」の姿をするものではなく、いくらか人間らしさを残したその顔、その表情は、観ているわたしの同情心を誘うものでもあっただろうか。特についにグレゴールが死ぬという夜の描写は、「ああ、わたしだってそのうちにこうやって死んでいくのだろうな」と思わせられるところがあり、マーラーの音楽につられて、ついついわたしも涙してしまうのだった。

 グレゴール亡きあと、(ちょっと原作とは違うと思うけれども)電車に乗って、もうグレゴールのことなどすっかり忘れてしまったように明るい表情をみせる父、母、そして娘の家族の姿は「希望」に包まれていたし、その中でも「すっかり大人の女性に成長した」のびのびとした娘の姿がまぶしい。グレゴールが望んだように、彼女はもっとグレゴールに寄り添ってあげることも出来たと思うけれども、彼女はそうはしなかった。