ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ブッチャー・ボーイ』(1997) ニール・ジョーダン:監督

ブッチャー・ボーイ【字幕版】 [VHS]

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 舞台はアイルランドの田舎町で、主人公の少年フランシーは、ミュージシャンだが町いちばんの飲んだくれの父、そして精神不安定で自殺未遂を繰り返す母のもとで家事を手伝いながら暮らしているが、彼はいわば「悪童」ではある。彼のいちばんの友だちはジョーで、毎日いっしょに遊んでいる。フランシーが嫌うのはロンドンから越して来たニュージェント一家で、ニュージェント夫人には嫌がらせを繰り返すし、息子のフィリップのこともいじめる。
 時代は1960年代「キューバ危機」の頃で、フランシーの頭の中にも核戦争への危機が映画のエイリアンやテレビの「逃亡者」の片腕の殺人者などがごっちゃになっている。
 ついに母が自殺してしまい、フランシーはニュージェント家に忍び込んであらゆるものを破壊し、教会の「更生施設」に入れられるのだ。そこで「模範生」のふりをしていると「聖母マリア」の幻影を見たりするが、それにからんで神父のひとりに性的いたずらをされる。事件をもみ消すためにフランシーは施設を退所させられるが、父までも自宅で死んでしまうし、親友だったはずのジョーはフィリップと仲良くなっていて、フランシーのことは「友だちじゃない」と言うのだ。フランシーはこういったことすべては「ニュージェント夫人のせい」と思い込み、ある行動に出るのだった。

 父親役はミール・ジョーダン監督作品常連のスティーヴン・レイで、彼はラストに成長したフランシーもちょっと演じているが、それまでもフランシーの行動に合わせたナレーションもやっていて、コレは過去の自分の行動を、成長してから振り返っているという設定なのかもしれない。そんなナレーションと、少年フランシーの独白とが独特のリズムというか、ある意味フランシーの「とんでもなさ」を際立たせる。彼にとっては、たいていの人間は「いなかっぺ」であるか「ブタ」なのである。そして「コミュニスト」や「エイリアン」が世界を壊そうとしている。「聖母マリア」の幻想を見たとしても、そのことが彼を救済するわけでもなく、映画で描かれるフランシーの「悪童」ぶりは相当なモノである。そんな「悪童」ぶりも、「ブラックユーモア」的な演出によって、どこかリアリティを欠いた「ジョーク」っぽくはなっていただろうか。それでも、演出姿勢として「カトリック」への悪意というようなものは、しっかりと伝わるだろう。

 タイトルの「ブッチャー・ボーイ」というのはそのまま「肉屋の少年」ということで、じっさいに映画の終盤ではフランシーは肉屋で下働きをしているわけだが、そのまま「The Butcher Boy」というのはよく知られたアイルランドのトラッド(伝承歌)でもあり、映画の中でこの曲を何度か聴くことも出来る。そしてこの曲を歌っているのがシネイド・オコナーであったりもして、なんと、映画の中で「聖母マリア」を演じているのがそのシネイド・オコナーだったりもする。
 ニール・ジョーダンという監督も音楽に造詣の深い方で、この映画のほかにも『モナリザ』や『クライング・ゲーム』など、タイトルがそのまま曲のタイトルである作品もあるし、それぞれの作品での音楽の使い方もキマッてるのだった。