アメリカの「都市伝説」に、映画『ファーゴ』の冒頭の「この映画は事実に基づく」というのを本気にし、日本からアメリカに渡った日本人女性が、映画の中で雪の中に隠された大金を発掘しようとして凍死してしまっていた、というのがあり、これはじっさいにファーゴ近くで雪の中で凍死した日本人女性がいたことから広まった「伝説」だったのだけれども、ほんとうのところはその女性は覚悟の上の「自殺」だったらしい。
この映画は、その「都市伝説」をそのまんま映画化したという作品で、日本では劇場公開されずにDVDスルーだった。ネット上でのこの映画の評価も高くはなく、ちょっと「どうなんだろうか」と観てみたが、どうしてどうして、この作品は相当にすばらしい作品だと思った。
主演は菊池凛子で、この映画の「Executive Producer」も務めている。映画の前半で主人公「クミコ」の日本での日常生活が描かれ、後半に「The New World」として渡米後の顛末が描かれる。
ここでのクミコの日本での暮らしが相当にキツいというか、彼女の勤める会社での様子などが抑圧的というか「ハラスメント」っぽいところもあるし、クミコという女性自体があまりにネガティヴでもあり、そのあたりにこの映画が劇場公開されなかった理由があるのかとも思った。
会社のキャッシュカードを持ち逃げして渡米したクミコは、つたない英語で「ファーゴへ行きたい」と会う人ごとに伝える。「それはあまりに遠い」と言われるが、とにかくはファーゴ方面へ行くバスには乗る。しかしそのバスはとちゅうでエンストして動かなくなってしまうのだ。バスを降りて道を歩き始めたクミコを、車で通りかかった年配の女性が自宅まで連れて行ってくれる。
年配の女性は「今夜はここに泊まればいい」といい、「明日はファーゴなんかよりもっと楽しいところへ連れてってあげる」というのだ。ファーゴにこだわるクミコは、夜中に彼女の家を出てモーテルに泊まる。翌日チェックアウトしようとすると、カードは使えなくなっていた。支払いをせずに部屋の毛布を持ち逃げしたクミコは、さらにタクシーもただ乗りして先に進む。
ようやく映画『ファーゴ』にも出て来るポール・バニヤン像のあるところにたどり着くが、そこでパトカーで巡回していた保安官に保護されてしまう(この保安官を演じたのが、この映画の監督のデヴィッド・ゼルナーだという)。
この保安官はとっても親切な人間で、クミコの親身になって考えてくれるのだが、「映画はフェイクだ」とは伝える。「あなたのことを助けてあげたい」と聞いたクミコは「感謝」のしるしに保安官に口づけする。保安官はすっかりとまどってしまう。
保安官との食事のとちゅうでクミコは抜け出し、ひとりで雪深い森の中へとさまよいこむのだった。
やはり、観ていてツラい映画ではある。生きることに絶望するしかないクミコの、ただひとつのよりどころは、映画『ファーゴ』の中の「まだ発見されないで雪の中に埋まっている多額の現金」なのだ。
そして、夢をかなえるためにアメリカへ行ってからも、彼女に親切にしてくれる人々の気もちを振り切っても、かなわぬ「夢」にまい進する。
彼女にとって、「夢」へ向かって進むことは彼女の「生きるよすが」でもあるのだけれども、それはまさに「現実逃避」であり、ある面でそれは「狂気」に近いものでもあるだろう。それは「ファンタジー」に生きるということでもある。
ラスト、森の小川のほとりで雪に埋もれて眠っていたクミコは目を覚まし、先へと歩みつづけ、『ファーゴ』の映画で描かれた通りの場所を発見し、その雪の中からカバンに入った現金を見つけ出す。
カバンを抱いて雪の中を進むクミコは、東京で捨てて来た、飼っていたウサギの「ブンゾウ」と再会し、ブンゾウを抱き上げて先へ先へと進んで行く。このラストのシーンのクミコの顔は、それまでになく生き生きとして可愛らしい。
まぎれなくこのラストシーンは「ファンタジー」であり、美しくも哀しい。
英語版Wikipediaをみるとこの映画は海外では好評で、いくつもの映画祭で賞を受賞している。
わたしにとっても、強く胸に迫る映画だったし、菊地凛子の演技も素晴らしいものだった。そう、わたしはこの映画の音楽もとっても気に入っている。この日本で、この映画がさほど評判になっていないことを残念に思う。